teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成

新着順:258/738 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

東照宮祭七間町(補筆)

 投稿者:備忘録  投稿日:2014年 3月20日(木)07時36分1秒
  通報 返信・引用
  以前にも書いたことであるが

七間町(しちけんちょう)は、中区丸の内二丁目から錦二丁目にかかる南北の通りの町である。昭和41年3月、戦災復興都市計画と、それにともなうように住居表示の実施によりこの名前は消失した。
江戸時代は、上七間町、下七間町の二町があり、橋弁慶を出していたのは下七間町である。明治初年に、上七間町は、七間町一・二・三丁目。下七間町は四・五丁目になった。

昭和になっても四丁目五丁目が、橋弁慶車を曳きだす町に変りなかった。昭和11年から工事の始まった桜通りの拡幅に際して、大幅に町域が狭くなってしまう。

町総代制度から、町内会に発展した昭和15年、はじめて両町は統合されて七間町町内会(会長安阿弥治郎左衛門)が発足した。

「七間町橋弁慶車 お囃子の復活」(森零監督)に挿入されている記録映像(「汎太平洋平和博覧会」昭和12年)に、滝兵ビル(現名古屋東京海上日動ビルディング)前の桜通りで休憩する弁慶車がとらえられているが、ちょうど笹竜胆の紋の染め抜かれた霞幕を張っている。
別名源氏車の名にふさわしいよい意匠だ。

おそらくこれが最後の橋弁慶車の動く映像であろう。

この年の7月におきた盧溝橋事件に端を発し、戦域は拡大していった。
 
 
》記事一覧表示

新着順:258/738 《前のページ | 次のページ》
/738