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西谷勢之介

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 7月19日(木)08時51分12秒
返信・引用
   猛暑でダウン中……、ではない。
 豪雨にも負けず、熱さの夏は、オロオロ歩き、誉められることもない仕事をせっせと片づけている。
 作業部屋は扇風機のみ。クーラーの部屋に移動すると、仕事ができない。まあ、外出しないかぎり熱中症にはかからない。ただ、あまり仕事に熱中しないように気をつけてはいる。適宜、休息をとらないと、思考能力が極端に低下していく。

 低下したときは、当面の仕事に関係のない気軽な読書。低人教教組の辻潤に関連したもので、大月健『イメージとしての唯一者』(2016.4)を手にする。白痴者、いや京都の白地社の刊行。
 「虚無思想研究」(第1次)から「ニヒル」に触れたところで、西谷勢之介が出てくる。詩集『虚無を行く』(啓明社、1928.2)の詩人は、むろん彼らの仲間だった。大月は2冊の詩集を挙げ、「もしかしたら、それ以後にも出ているかもしれないが生憎と私は知らない。〔第一詩集〕『或る夢の貌』〔新作社、1924.9〕にしても……実物はいまだ見たことはない」と記す。
 『或る夢の貌』は(『虚無を行く』もだが)、国会図書館のデジタルコレクションで閲覧・プリントアウトができる。あと、引用文によって「衆象」誌とあるのは、詩誌「衆像」のはずで、該当号(1929.11)も手元にあるはずが、現在行方不明中(つい最近も、表紙を見たが……)。
 なお、「スカラベ人名事典」には西谷の項目はない(『日本近代文学大事典』には、かなり詳しい項目がある)。かつて、スカラベ事典用に(「福岡日日新聞」記者として、福岡の文学活動に関わった)、生没年をふくめ、かなり調べたような覚えがあるも、まとめたかどうかが不明。手元には前記第2詩集のほかに、何か著作があったような記憶も。古書検索すれば、けっこう安価で数冊が入手可能(関連書でいちばん高価だったのは、「近代風景」創刊号の6万! これ確か手元にあったはずと思ったが、所蔵は北原白秋編輯アルス発行(1926.11)の方。6万は近代風景社発行(1931)という)。まあ、そのうち考えよう。記憶の薄れは、やはり猛暑と加齢によるものか。
 
 

雨見酒

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 7月 6日(金)21時36分0秒
返信・引用 編集済
   かなり不謹慎とは思うのだが、北部九州豪雨の渦中にあって、雨を眺めながら焼酎を飲む。
 朝から一日、FMラジオは番組を中断して、各地区の警報を報せる。そのたびに、氾濫寸前の各河川を思う。あの川、この川、知らない河川もあるが、叛乱の予感。
 遠賀川支流だけでなく、本流も危険水域に達しているようだ。
 当地も避難所が設置され、避難勧告が出た。河川の氾濫ではなく、崖地など危険地域に対するものだった。
 明日の会合も、豪雨で延期。その所為ではないが、急ぐ原稿を先送りして、本の整理や、ファイル・リストを作成していた。捜す資料が見つからないため、長年、把握できずにいた箇所を重点的に、片づけていく。
 そうしたなかで、久々に紙魚(体長8mm)に遭遇する。紙魚の飼育法といった文献を見ないが、可能だろうか。これまで、何度か、飼育を試みるも失敗。彼(彼女?)は、ヒトに飼われるのを潔しとせず、必ず「自死」していく。

 ↓ 九州大学の「スカラベ人名事典」(元、http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/xc/search/%2A?&os[recordset]=Scarab%20Biographical%20Dictionary)も行方不明のようですね。こちらがあるので、当方管理のHPは、プロパイダのサービス中止のため、休息中にしました。しかし、早期の「復活」が必要かも知れません。ただ、錯誤訂正・追加増補を考えていて、予定には上げていますが、優先順位は、ほかの仕事に比べて、まだまだ低位です。申し訳ありません。
 

スカラベ人名事典について

 投稿者:すかぶら  投稿日:2018年 7月 3日(火)09時49分56秒
返信・引用
  質問で恐縮ですが、最近ネットの「スカラベ人名事典」がどこを捜しても見当たりません。いろいろと重宝させてもらっていたのですが、どうなったのか教えていただけませんか。まさかスカラベ・ヒロシさんがどこかに隠してしまったのではないですよね。お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。  

『プロパガンダの文学』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月30日(土)09時06分23秒
返信・引用
   五味渕典嗣さんの『プロパガンダの文学―日中戦争下の表現者たち』(共和国、2018.5)の紹介をしていなかった。
 5月末には届いていたのだが、あれこれかまけていたら、6月末になってしまう。
 火野葦平に関した論考が数多く、文句なしにお奨めの1冊。
 対象テクストを1937.7~41.12に絞り、慎重に「後知恵」を入れずに、同時代の論調のなかで問題を詰めていく姿勢は、見倣いたい。
 446ページ・四六判上製、本体定価4200円(ISBN978-4-907986-45-2)。個人購入を躊躇される方は、ぜひとも公共図書館へのリクエストをお願いしたい。
 

詩のことばと死の言葉

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月24日(日)06時20分16秒
返信・引用 編集済
   毎年、こんなに二つのことばの違いが顕著になる日は、ほかにない。
 昨日の沖縄慰霊の日の式典だ。
 少女の力強い詩のことばの後に、A首相の政治の言葉。空疎な死の言葉の挨拶。
 昨年も同じだが、静謐な朗読のあと、怒号の野次に包まれてしかるべき、厚顔無恥、平気で嘘を語る男の登場。本人を含めて誰も、沖縄へ真摯な思いで語っているとは信じない。
 昨年も同じだった。
 この式典のプロデュースは、どこがしているのだろうか。順序が違えば、また異なった印象を与える。密やかな政治批判の意図が、よく窺える。
 

結城昌治と加藤延之

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月16日(土)10時15分1秒
返信・引用 編集済
   筑豊も舞台とした結城昌治の長篇小説『白昼堂々』について再考する機会を得た。
 カンヌ国際映画祭最高賞(パルムドール)を受賞した是枝裕和監督の映画「万引き家族」。観客動員数も100万を突破したとか。その評判の蔭で、集団万引き(万引き大家族)の映画「白昼堂々」を連想する方がどれほどいたのか? 筑豊の「負の遺産」ではなく、真実の「喜劇」にするためには……。そのための基本データを整理しておく。

1、結城昌治「白昼堂々」連載、「週刊朝日」1965.6.4~12.31
2、結城昌治『白昼堂々』初刊刊行(朝日新聞社、1966.2 以後の文庫版などの刊行は省く)
3、野村芳太郎監督「白昼堂々」(松竹、1968.10)原作・結城昌治
 ※シリーズ「男はつらいよ」(山田洋次監督・松竹、1969.8)に先行するゴールデン・コンビの誕生。渥美清、倍賞千恵子、佐藤蛾次郎の共演は初めて。寅さんの「原点」は、筑豊の廃鉱にあり!?
4、加藤延之「こちら特報部・泥棒村潜入記」連載「東京新聞」、1971→『実録 泥棒大家族』(徳間書店、1972.10)
5、坪島孝監督「喜劇 泥棒大家族 天下を盗る」(東宝、1972.10)原作・加藤延之
 ※植木等主演のクレージーキャッツ映画。2017年1月にCSにてTV初放映(特集「新春特選・日本の初笑い」の1本)。DVDなど未発売。

 作品にふれた結城の文章を拾う。
1、私が初めて彼らの存在を知ったのは昭和三十四年の新聞紙上だった。日本橋の三越で犯行中を一斉検挙された(初刊「あとがき」)
2、実在した万引団はあくまでも発想のヒントにすぎない。私は執筆前に北九州の炭鉱地帯を訪ねたが、それは荒廃した現実に接して構想をたてるためで、かつてのドロボウたちには敢えて会わなかった。(前同)
3、連載後間もなく、北九州から上京した本物の万引団十三人が検挙されるという事件が起こった。……私は呆然として筆が鈍った。(前同)
4、現実の万引団はその後も活躍している模様で、北九州の新聞社から「――捕まった本人が“白昼堂々”のモデルだと言っているが本当か」という問合わせがあった……。なかでもいちばん弱ったのは、ある新聞〔東京新聞〕が「泥棒村潜入記」というルポルタージュを連載した影響で村の人びとから苦情を寄せられたことだった。(『結城昌治作品集』4「ノート」、1974.3)
 時系列を整理する。1959年の三越事件。1965年の十三人検挙事件。1968年の映画化。1971年「東京新聞」連載。1972年「泥棒大家族」映画化。
 なお、以上のほかに実在の「万引団」の大事件としては、1970年の福岡市における宝石窃盗、1971年の青森県八戸市での「親分」逮捕がある。これら実際の事件と、虚構の小説・映画の世界、さらに「ルポルタージュ」とやらが錯綜して、「白昼堂々」が語られてきたようだ。

 その後、1980年頃、NHKがTV連続ドラマ「白昼堂々」(4回シリーズ)を製作。しかし、完成した作品は「差別ではないか」という抗議で放映中止となり、「お蔵入り」とか(「朝日新聞」東京本社版夕刊19面、1993.10.7)。今のところ、「万引き家族」を観にいくつもりはない。その前に「泥棒大家族」だ。TVドラマ「白昼堂々」だ。映画「白昼堂々」とあわせて4本が揃って、ようやく映像については、何なのかを考えよう。
 

「0番地」3部作

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月12日(火)10時50分18秒
返信・引用
   井上孝に、「0番地」3部作があることを知る。
 『東京0番地』(筑摩書房、1955)に加えて、『銀座0番地』(和銅出版社、1958)と『壇之浦0番地』(大沢書房、1959)。
 古書検索でもA書店の高額書を見るのみ。なかなか、安価では出ないし、そもそも流布していない。今回は、入手を見送った。
 

井上孝

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月 9日(土)07時38分8秒
返信・引用
   ベストセラーになって読まれている作家より、忘れられた作家に興味がわく性格は、どうしようもない。
 ある年1回の、けっこう煩雑な報告仕事の目処がついたので、昨日は、北九州市若松区から下関市立図書館まで足を延ばす。火野葦平と弟・玉井政雄に関する雑誌調査のため。この日を逃がすと、次がいつになるかわからない。早く確認したい事柄もあった。
 下関で出ていた文芸同人誌「群脈」「埠頭」の所蔵分を見るためだ。幸い、複写可能だったので、必要箇所はコピーもできた(閲覧しないと判明しなかった葦平追悼文も得る)。
 「群脈」は、創刊号(1955.4)~第7号(1957.2)。改題された「埠頭」は、復刊第1号=通巻第8号(1960.4)から通巻第20号(1964.8)までが揃っている。おそらく第23号(1966.4)で休刊のはず。下関市立の欠号は第21号~第23号。未見は、第21号・第22号になるが、第23号末尾に総目次に準じたものがまとめられたので、概要は摑める。
 創刊号から第23号まで、一貫した同人には、佐藤泰正・玉井政雄・三井正一・上田芳江らがいる。途中では古川薫も参加。あとボクが知っている名前は、中野真琴・空大助・森田定治・クロキミエ(黒木ミエ)か。
 第3号(1955.11)には、『東京0番地』出版記念特集が編まれた。井上孝の10年ぶりの10日間の帰郷の様子が窺える。『東京0番地』(筑摩書房、1955.9)の刊行で、故郷・下関に錦を飾り、母を伴って東京での出版記念会(10.25)へ戻ったのだ。「早稲田文学」で文壇デビュー、1940年には芥川賞候補となり、敗戦直後も有力な新人作家と期待されていた。同窓の縁もあり(井上は早稲田仏文卒)、葦平にも出版記念会の案内状は出されていたが、出席できなかった由。
 炭鉱夫を描くという次作は、『筑紫飄風記』3部作のことか。若松での沖仲仕取材も計画されたが、都合がつかなかったようだ。「火野さんに大要は聞いてゐる」という。
 へえ~×2、ほど驚いたのは、『東京0番地』が日活での映画化が決まっていたこと。母親を撮影所へも案内したようだ。得意の絶頂期か。しかしながら、映画データベースなどでは、まだ実際に映画になったかは不明。小菅の刑務所のなかの話だから、まあ映画には適している。
 それにしても、井上孝(1915.8.2~2002.6.17)を、山口県も下関市も、文学者として重視しているとは思えない。やはり、芥川賞や直木賞を貰っていないと、「候補」作家では無理なのか。ボクにとっては、『筑紫飄風記』3部作だけで、ほかに代え難い作家だ。手元にない単著は4冊か、気長に探そう。
 

安部公房と勅使河原宏

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月 7日(木)16時37分46秒
返信・引用
   4月から月1回のペースで始めた「川筋文学講座」の、2回目、先月は安部公房のシナリオ「おとし穴」(「キネマ旬報」別冊1962.3)を取り上げた。
 勅使河原宏監督の映画「おとし穴」の原作、いや原作ではなくシナリオそのものだ。あえて原作を求めるならば、TVドラマ「煉獄」(KBC、1960.10)となる。これを元に第1稿シナリオ「菓子と子供」(「シナリオ」1961.5)が書かれ、撮影現場(監督・演出)による変更を反映して、映画どおりのシナリオとなる。これは、今回、映像とシナリオを対照して、具体的に摑めた。
 安部公房は、既刊のシナリオ集には、最終稿を収録。厳密な校訂を経たと思える『全集』にも、「菓子と子供」との異同はない。そうした些末な指摘は置こう。
 安部は次のように「煉獄」に注記する。「この冒頭〔狸掘り〕のシーンは、上野英信著「追われゆく坑夫たち」(岩波新書)の中のエピソードから、ヒントをえたものである」。どのエピソードかを述べないが、無理にこじつけるなら、「飢えた子供たちにせめて一日だけでも米のめしをたべさせようとして坑夫たちはその米を受けとり、もはや働く気力も体力もつきはてた体をひきずって坑内におりてゆく」か? この場面をもとに、「米のめし」にありつくために、百姓の地主をだます失業坑夫ふたり(「煉獄」では子供は登場しないが、「菓子と子供」では、片方に男の子がいる)を造型したのか。
 また、「「煉獄」はむろん「おとし穴」の原型であり、一つの作品が、メディア〔テレビと映画〕によってどう変わるかの例として、あえて両者ともにとりあげてみた」(『現代文学の実験室』第1巻〔大光社、1970.6〕「あとがき」)とも。「テレビが人間をとおして、その背景をとらえるのに適しているとすれば、映画は逆に、背景をとおして人間をとらえるのに適している」(「平行線のある風景―「煉獄」から「おとし穴」への原作者として」〔「アートシアター」1962.6=『全集』第16巻〕)とも。後者の指摘は、映画「おとし穴」を見るかぎり納得できる(TVドラマを見る機会はない)。
 『現代文学の実験室』刊行すぐに読んで以来、約半世紀、また「敍説」Ⅷ号(1993.7)の「筑豊の文学風土」で「菓子と子供」を取り上げてからでも四半世紀、ようやくこの映画作品も見ることで、新たに知ることが多い。
 何よりも、筑豊・北九州のオールロケの56年前のモノクロ映像は、新鮮だった。写真でしか見たことのない燃えるボタ山も、建設途中の若戸大橋も、廃鉱ではなく操業中の三菱鯰田鉱業所も、部分を見ることができた。映画で展開する不可解な人間ドラマよりも、背景の方に魅かれる。
 なお、少年役は、地元の坑内夫・宮原義男の長男・カズオ(当時小学2年、現在64歳前後)を起用。ご健在だろうか。
 

上野英信

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年 6月 5日(火)20時09分37秒
返信・引用
   以前から手元に、知人のスクラップ・ブックからのコピーはあったのだが、掲載紙誌不明の短い上野英信インタビュー記事が、2点あった。
 ひとつは「朝日ジャーナル」1967年2月5日号と判明した(もう1点はまだ不明)。「紹介します〈19〉上野英信さん」で、「肩書」は「炭鉱作家」、見出しは「崩壊の証人」。
 この記事で注目すべきは、「青雲の志を抱いて元満州国新京(長春)の建国大学に学ぶとき、同年配の中国知識人の生き方に、激しく胸をゆさぶられる。恵まれた学園を棄てて、つぎつぎに抗日戦線へ身を投じていく若者たち」、これに広島被爆を加えて、「二つの原体験」と位置付けていることだ。
 また、これも偶然、最近知り、入手した雑誌の座談会「もうひとつの移民論 移民史への視角」(「歴史公論」1979年1月号、「近代百年と移民」特集)。森崎和江・上野英信・金原左門の3名のもの。
 このなかで、英信は「じつは私は昭和十六年に「満州」へ渡ったんです。というのは、当時満州に建国大学というのがあって、その予科に入学したんです。そのままぶじに卒業して住みついていれば、いわゆる満州移民の一人になったかもしれません」と語っている。
 生前にほとんど語ることのなかった「満洲・建国大学」に触れていて、南米移民と満洲体験、「この二つが一本の縄みたいにからみあって、私の心からいまだに消えない」としていることが重要だ。
 

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