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49年目の再読書

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月23日(火)16時48分34秒
返信・引用
   中原中也の詩を、まとめて読むのは何年ぶりだろうか。
 それはおいて、大岡昇平の評伝は、半世紀ぶりに再読する。精確には、1969年12月以来だから49年を隔てる。手元の講談社文芸文庫版で再読したが、あらためてボクの中也像は大岡昇平に基づくことを確認する。
 ただ、いくつか甦らない事柄もあって、かつて公共図書館から借り出した同じ本を、再び借り出してくる。角川書店1967年版の『朝の歌〈中原中也伝〉』と『在りし日の歌〈中原中也の死〉』である。幸いにまだ所蔵。しっかりと1969年12月の借り出し記録も名前入りで残されていて、感慨深いものがある。
 明確に記憶していたのは、大岡の語る中也の「学校」感。「本で読めば一月でわかることを、一年かかって教える」。16歳になっていたボクも同感で、1月どころか1週間、いや1日で充分などと傲慢にも考えていた。したがって、この頃から、学校の勉強など、ほとんどまともに取り組んでいない。
 中也は青柳喜兵衛との関連から再読したのだが、もう一つ、全く別の関係で、堀田善衞を少し辿っていた。前述したように、奇妙な「衛」つながり。
 思い起こせば、当時は詩や詩人に関する本を、手当り次第に読んでいた。
 そのなかには、堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』(新潮社、1968.9)もあった。これは学校図書館から借り出している。このなかの一節「とすればやっぱりどうも詩は死ということになりはしないか」は、鮮明に覚えている。不遜にも「詩と死」といったテーマを考えていたときだ。大岡「中也」より早く、1969年7月のこと。モデルとなった詩人たちも、よく知らず(福永武彦や加藤周一も登場する)、歴史的時代背景も中学校の社会科教科書レベルで読んでいたのだった。堀田に出会うのは、やはり早過ぎたようだ。
 
 

只今切り換え中

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月22日(月)18時13分39秒
返信・引用
   先週は、1時間半のお喋りが二日も続き、いささか疲れた。
 しかしながら、疲れを癒す暇もなく堀田善衞に関連した仕事を片付けていた(いや、嫌々仕事ならともかく、愉しい仕事が、いちばんの癒しになる)。今年は、堀田の生誕100年、没後20年にあたる。作業の過程で読みたくなった本も、手近に山積みしたが、果たしていつ読めるやら。
 お喋りは山本作兵衛・青柳喜兵衛(+中原中也)。それに加えて堀田善衞。「衛」つながりに、自分でも「へえ~」×3ほど。中也と善衞は、個人的な「読書行為」としては密接な関係があったことを確認。たまたま別方面からの依頼が重なったのだが、その偶然に驚く日々であった(この件、次回に)。
 さて、そんな余韻にひたる余裕なく、たまっている火野葦平関係の仕事に取り掛かるため、切り換え中。最低でも5、6件が滞留中(ほとんどが年内仕事)。周囲に入れ混じっている資料を整理し、必要なものを出してきて、片づける順序を考えよう。
 あっ、そういえば、10月20日の「朝日新聞」朝刊の「しつもん!ドラえもん」は火野葦平だった。答えは「河童」だが、次号「敍説」特集のテーマも「河童」。これも単なる偶然。
 

小鳥塚

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月14日(日)06時34分47秒
返信・引用
   筑豊・田川市でのOさんの通夜に向う途次、早めに出て、飯塚市上三緒にある小鳥塚に立ち寄る。麻生上三緒炭坑は、山本作兵衛「ヤマの米騒動」にも出てくる。
 ネット紹介では、「雁石池のそば」だけで、場所がよくわからないが、現地に行って歩けば、見つかるだろうと思った。
 池(けっこう大きな溜池)の周辺を廻っても見つからない。行き止まりの駐車場にいた地元男性に訊ねると、即答。「十字路交差点のところ。ただし、工事中で1週間前あたりに撤去された」。確かに、グーグル・ビューで見ると、必ず目に入る場所にあった。
「この地に石炭産業が栄えたころ、多くの小鳥たちがガス予知のため坑内に持ち込まれ、災害を未然に防止しながら可憐な生命を絶っていった。ここに小鳥たちの功績を讃えるとともにその霊を慰さめ、また石炭の果した使命を永久に顕彰するため、筑豊をはじめ全国有志の浄財を得て、この碑を建立する。
 昭和五十六年辛酉五月十日  筑豊炭鉱遺跡研究会建之」
http://www.kankou-iizuka.jp/homepage/sp.asp?id=1340

 飯塚市観光協会でも紹介されているから、よもやこのまま「永久に撤去」ということではなかろう。
 この小鳥塚や筑豊炭鉱遺跡研究会のことも、Oさんに訊ねたかった。これからも、同様の事柄が多いに違いない。
 

KK書房

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月10日(水)07時54分28秒
返信・引用 編集済
   今朝の「朝日新聞」朝刊のサンヤツ広告に、KK書房を見る。
 いままで気付かなかったが、革マル派の出版社・あかね図書販売が名称変更したようだ。2005年あたりからは、解放社も引き継いでいた。
 こぶし書房(K書房)は健在。黒田寛一=KKを、記念・顕彰しての社名なのか。「革命! さらに革命!」または、「解放! さらに解放!」どちらなのか。どちらとも? 少なくとも、「株式会社書房」ではない。
 

岩波新書創刊80年

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 8日(月)09時00分52秒
返信・引用
   岩波書店のPR誌「図書」が「はじめての新書」という臨時増刊号(2018.10 通巻第838号)を出している。岩波新書創刊80年記念号ということだ。
 著名人(?)の2ページ、1ページのエッセイに続き、初めて読む「おすすめ」新書を93人が各3点ずつ挙げていく(計279票)。岩波新書に限らず、ほかの新書も可(ただし、最低1冊は岩波新書が入ることが条件か)。
 予測どおり、丸山真男『日本の思想』に票が集まるものの、E・H・カー『歴史とは何か』が10票で、2票差をつけてトップ。
 これに続くのは、昨今の沖縄情勢を反映して、阿波根昌鴻『米軍と農民』が3票だ。複数推薦には、大江健三郎『ヒロシマ・ノート』、鈴木孝夫『ことばと文化』、吉田洋一『零の発見』など。ほかの社では、会田雄次『アーロン収容所』(中公新書)と佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)に2票。
 意外だったのは、かつてこの種のアンケートの常連だった梅棹忠夫『知的生産の技術』が1票のみ。もはや、あのカード式は時勢に合わないのだろう(ただ、やはりこの方が優れていたと、復活する可能性は残る)。
 少数派では、小熊英二が上野英信『地の底の笑い話』を、吉村武彦が花崎皋平訳『新版ドイツ・イデオロギー』(合同新書)を挙げていた。後者、まだ新刊流通しているのだろうか。以下は、前者のコメント全文。
「自身が炭鉱労働者でもあった著者が、彼らの生活民俗を集めた。高度成長で消えていった日本の姿が浮かび上がると同時に、時代を経ても古びない人間の普遍的なあり方が記録されている。」
 

通巻100号

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 7日(日)20時04分52秒
返信・引用 編集済
   よくよく考えれば、今年は7月の七夕豪雨でも、予定変更を余儀なくされていた。台風の被害ではなかったが、やはり3回、風雨禍を受けていた。

 さて、福岡市に本社をおく西日本シティ銀行が「社会貢献」として出し続けてきた「博多/北九州に強くなろう」シリーズが、通巻100号で最終号となった。
 「博多」シリーズ№81は「後藤又兵衛」(2018.7.5)。
 前号から2年以上を経過したが、無事、目標の100号に達したようだ。西日本銀行と合併される前の、福岡相互銀行(普通銀行転換で、福岡シティ銀行)時代からの「遺産」。
 担当者は、疾うに退職されたが、100号まではと執念を燃やされてきたようだ。
 沖縄の季刊文芸同人誌「脈」も現在98号。来月には99号が出て、いよいよ100号が現実味を帯びてきた。

 再びさて、文学批評同人誌「敍説Ⅲ」も、難航した15号特集「夏樹静子」が、今週には刊行される。第1期創刊(1990年)からは45冊目。12号(2015.2)13号(2016.3)14号(2017.4)、と次第に間延びしている。最近のこのペースなら、通巻100号はおいて、50号もいつになることやら。
 

台風禍

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 5日(金)11時13分49秒
返信・引用
   今年は台風の当たり年らしい。
 おかげで、予定した日程が変更になるのも、これで7月末に続き2度目。3回目がないことを願うのみ。
 明日に予定されていた、「青柳喜兵衛と中原中也」についてのお喋りは、10月20日(土曜、15時30分~)に延期された。会場が全体休館になるため。まあ、まだ準備不足だったので、助かったようなもの。
 台風25号はスピードアップしている。明日午前中は北部九州も強風域に入るだろうが、午後からは台風一過の天候が回復するのではなかろうか。
 さて、今から、筑豊・直方のイベントに出かけるが、帰りの電車が心配。
 

森崎和江のVTR

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 4日(木)04時30分42秒
返信・引用
   先日、森崎コーナーにあった唯一のVTRテープを見る。
 白カビが生えていたので、心配したが無事に再生できた。想像したよりは、鮮明だ。
 テープには1992.9という日付だけで番組名がなかった。何を録画したのかも忘れている。
 NHK午前中再放送の「筑後川を上る」というシリーズの30分番組、2回分。衛星放送(今でいうBS2か)で、朝早く生放送されたものだった。
 筑後川沿いを歩きながら、森崎さんがひとりで思い出を語るという番組。インタビュー番組ではない。登場するのは森崎さんだけ。1日目は、父親の故郷・城島町(当時)浮島近く、父や帰郷時の話。2日目は、久留米市百年公園で、主に師・丸山豊と「母音」時代を語る。
 植民地・朝鮮時代など、文章では何度も読んだ話を、本人が肉声で語るのは、今となっては貴重な映像だ。26年前、65歳の元気な姿も懐かしい。
 

『プロレタリヤの歌』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 3日(水)15時36分36秒
返信・引用
   井上光晴が「音符入りのプロレタリヤ歌唱集というようなキワモノ」と回顧した小冊子を入手する。
 『プロレタリヤの歌』(佐世保・九州評論社、1947.4.20)。本文ともに36ページ、定価5円。判型は文庫本より、さらに小型のB7判。
 「序」には以下の詩。光晴がつくったものなのか。
「よろこびと、かなしみと、いかりと/うたよ飛べ/赤旗のひらめくところ/うたよ飛べ/あゝわれらの胸血(むなち)ほとばしれば/兄弟の頰は燃え/搾取者はおのゝく/うたえ うたえ/高らかに うたえ/はれた日も 嵐にも/雨ふれば/赤旗のしずくに頰ぬれて/うたよひゞけ」
 楽譜とともに収録は、インターナショナル・高くかゝげよわれらの旗・新メーデー歌・メーデー歌・赤旗の歌・同志はたほれぬ・同志よ固く結べ(共産青年同盟歌)、等々18曲。ただし、楽譜は古い不鮮明なものからの複写のためか、きわめて判読に苦しむもの。
 

詩モード

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2018年10月 1日(月)20時14分17秒
返信・引用
   思考方法の切り替えで、いちばん難しいのが「近・現代詩」モード。
 詩をいくら読んでいても、少しも響かないときがある。
 友人と、あびるほど酒を飲み、詩や文学の話をすることで、強制切り替えなどという方法もあった。若い頃には、「恋愛」が特効薬でもあったが、これはもう使えない。
 さて、昨日からデガダンス詩人を読み続けている。この傾向とも無縁になった。
 村山槐多と柳瀬正夢の出会いは、槐多「日記」によれば、1915年5月16日。槐多は満18歳、正夢15歳。「彼を俺は熱愛する、柳瀬が美しくなった……危険且病的な戯れの夜を柳瀬と共に寝る、大暴風が夜中吹く」と、どう解釈したらいいか迷う記述。講談社文芸文庫版『槐多の歌へる』(2008.11)の、酒井忠康「解説」でも「十代後半の柳瀬正夢がやってくると、槐多がしきりに追い回して困った」という、友人の画家の証言を残す。柳瀬年譜では、1916年に「上京し、田端に住む。村山槐多の訪問を受ける」と記載されていた。
 ところで、デカダンスとダダイズムやアナキズム、似ているようで、やはりそれぞれ違っている。「社会」や「世間」と詩人の距離の取り方だろうか。
 

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