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純子さんへ

 投稿者:さとう  投稿日:2015年 3月22日(日)03時08分36秒
  ぎふホスピスケアをすすめる会が、3月で幕をおろされます。
あなたが、岐阜の地に必要と立ち上げたこの会、ホスピスが岐阜中央病院から
始まりあちこちにできています。
国の政策は、在宅での看取りの方向になり、開業医や訪問看護へ力が入っています。
この会を通してたくさんの学びをさせてもらい、成長させてもらいました。
ありがとうございました。
会の世話人の方々、ありがとうございました、お疲れ様でした。
私なりに、このつながりを、次へのステップへつなげていきたいと思います。
 
 

テリーにつながるみなさんへ

 投稿者:さとう  投稿日:2010年 9月20日(月)09時35分33秒
  今年のリレーフォライフin中部が
岡崎中央総合公園でで9/18、9/19と開催されました。
2日間とてもよい天気に恵まれ、しっかり陽に焼けてしまいました。
昨日は、千葉、横浜、埼玉県川越市、広島、福岡でも同時開催されました。
昨年は、全国13ヶ所だったのが今年は25ヶ所に増えています。
きっと、来年はさらに増えるでしょうね。

昨日の岡崎の閉会式での報告は3000名の参加、
募金額は今のところ250万円との事でした。
全国で昨日一日の募金額はどれだけになるのでしょうね。

参加者は、がん患者さん、ご家族、サポーターの人たち
(岡崎市民病院、ガンセンター愛知病院、岡崎の看護学校、岡崎保健所、
城西高校1年、ソニー生命、などなど・・・)
FM岡崎が、開始から終了まで会場から生放送をおこないました。

私のチームは今回は、写真家のAさん、三井温熱の2名、
テリーと共にの歌を作った方の娘さんMちゃん、
Mちゃんのお友達のOさん(高校1年生)と私での参加でした。
Mちゃんは、その人の特徴をとらえての似顔絵を書くのがとても上手です。
以前、見せてもらいびっくりしました。
今回、会場での似顔絵書きをすすめたら参加したいとの返事、
都合で一日だけの参加でしたが、
とても好評で休む暇なく11枚の似顔絵を描き上げました。
中には遺影にするという方もみえました。
次の日も、今日は似顔絵描きはありませんかとたずねて見えた方がいました。
残念!!

お父さんの「テリート共に」のテープを流しながら似顔絵を楽しく描く
Mちゃんはとても輝いていました。
高校1年のOさんも活動に興味をもち、部活を休んでの参加。
ボランティアを積極的に手伝っていました。

昨年に続き、三井温熱も好評でした。
今回は、友達が東京からかけつけてくれて2名で行いました。
説明を書いた表示板をテントの前においたので立ち止まり読みいる方に
声かけを行いほとんどの方が体験されて行きました。(1回300円)
私は、呼び込み役でした。

Aさんは、昨年のリレーフォーライフの写真をA3の大きさでたくさん貼られました。
みなさんの明るい笑顔を撮った写真の中に、昨年の自分や家族を見つけられ
みなさん喜んでくださいました。
今年もたくさん撮っていました。

寝袋に入ったけれど眠むれなくて
12時からテリーの旗を立てたリュックを背負い、
テリーと共にのテープを流しながら1時間ほどグランドを歩きました。
きっと、テリー、神山純子さん、足立道明さん、高柳美代子さんも
一緒に歩いてくれていたと思います。

とても充実した2日間でした。
実行委員のみなさん、ボランティアのみなさん、参加された皆さん
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
また、来年も会いましょうね!!
 

私に

 投稿者:あんどう  投稿日:2010年 4月10日(土)22時07分40秒
  私へ
 もういいんじゃない
 過去を悔いるのはもういいんじゃない
 悔いて自分を傷つけるのはもういいんじゃない
 自分を大切にしてあげてもいいんじゃない
 あなたは、後悔ばかり、出来なかったことばかり見つけているけれど

 愛もたくさんあったよね
 思い出は愛、
 思い出は辛いばかりで、この言葉が分からないと言うよね
 愛された記憶はないの?
 あるよね

 お母さん最期にこう言ったの忘れたの?
「ありがとうございました、
ようやく分かりました、お世話になりました」
そう言ったよね、
どんな思いで、お母さん言ったと思う?
 きっとこれだけは伝えなくてはいけないって、
一番伝えたいことを言ったんだよ
最期の言葉は「もっと生きたかった、辛い、苦しい」じゃなかったでしょ
 それなのに、どうしてあなたは自分が悪いって言い続けるの?
お母さんの最期の言葉、どうして受け止めてあげれないの?

 愛された記憶、他にもたくさんあるよね
お母さん病気なのに、いつもあなたの健康のことばかり心配してたよね
お母さん「母親というのは娘に何かしてあげるのが母親なのに、
娘にしてもらうなんて申し訳ない」って泣いたよね。
お母さん、熱が40度あってもあなたに「気をつけて帰るんだよ、身体に気をつけるんだよ」
そう言ったよね。忘れちゃった?
 どんな状態になっても、母は子を想い続けるとあなた言ったよね

 本当にお母さんは最期の最期まで、あなたを愛し続けてくれたんだよね
それでも思い出は「愛」だと思わないの?
 辛いだけなの?
愛は消えちゃったの?

 思い出して泣くことは、それは「愛」だと感じてるからだよね

 お母さんは別の世界にいってしまったけれど
 思い出はきちんとあなたの記憶の中に残っているよね

 お母さんが残してくれた「愛」は
 あなたの中にいつまでも生き続けているんだよね
 だから泣いているんだよね

 それは愛だよね?

 後悔の気持ちが涙になるんじゃないよね

 愛された記憶が涙になるんだよね

 辛いよね、苦しいよね
 涙たくさん出るよね

 愛された分だけ、涙出るよね
 

静子さんへ

 投稿者:さとう  投稿日:2010年 3月24日(水)02時37分39秒
  先日、90歳になられたというお姉さまからおハガキをいただきました。

遠く離れて、病をかかえ一人で住んでいたあなた。
電話からあなたの異常を察知され病院へ電話をされたお姉さま、
N先生が訪問し入院して検査をしましょうと
入院され翌朝病室で亡くなられました。

人間いつかは来ることですが・・・
ぎりぎりまで在宅で一人で過ごされ、在宅の良さを教えてくれたあなた。
八千草薫さんと同級生で、送ってきたハガキを見せてくれたあなた。
テレビで八千草さんを見るたびにあなたの事を思い出します。

お姉さまが元気なうちに岐阜に来たいとのこと、
お友達もいるそうでその方のところに来るので会いたいとのおハガキでした。
きっとあなたが導いてくれているのでしょうね。

お目にかかるのを楽しみにしています。
 

お母さん

 投稿者:あんどう  投稿日:2009年10月21日(水)22時54分12秒
   お母さん、
お母さんの納骨が終わってから、少しづつ自分の中で何かが変わってきました。
無意識のうちに、変わろうと自らしているのかもしれません。

 お母さんがいないのは、相変わらず寂しい、悲しい
今でも、何かある度に「お母さんと一緒にしたいな」と思ってしまいます
その次に、あぁもう二度と一緒に出来ることは何一つないのだと気づく
その繰り返しです、
だって、信じられないもの、本当に本当にもうお母さんがいないなんて
 お母さんの顔、声、しぐさは、すぐに思い出すことが出来るのに、これが現実では二度とないなんて・・
 夢でもいいから、会いに来て下さい。

 最近ね、思うようになったのは
もう自分を責めるのはやめようと思って、
確かに私は、とんでもない親不孝な娘で
お母さんのことをちっとも分かってあげれなかったし
助けてもあげれなかったけど
でも、もうそんな自分を責めるのはやめようと思って
お母さんももちろんそう思うでしょ
 だから、自分をもっと慈しんであげようとそう思うようになりました
お母さんもその方がうれしいでしょ、
 だって、誰よりも私たち子供のことを愛してくれていたお母さんだものね。

 最期の日のことも
今までは思い出すだけで辛くて仕方がなかったけれど
あのお母さんの最期の言葉「ようやく分かりました」
の言葉の意味を知りたいと思うようになりました。
 お母さんは幸せだったよね
幸せで、満足な気持ちだったよね
そりゃ、もっと生きたかった、
あと10年は生きるって言ってたから、受け入れがたかったかもしれないけれど
あの最期の言葉は、
「ありがとうございました
ようやく分かりました
お世話になりました」
この言葉の意味は、決して「死にたくない、辛い、苦しい、悲しい」
という意味ではないよね
ようやく分かったって、何だったのかな。
 いろいろ一人で想像してる
なんだったんだろうなって・・・
 もしよかったら夢で教えて

 そして、こんなこと言わなくても、もう分かってると思うけど

 お母さんほど私のことを愛してくれた人はいないよ
本当にたくさんの愛をありがとう
お母さんの子供であることを心から誇りに思います。
これからもいつもあなたを想っています。
 

パパとママへ

 投稿者:娘より  投稿日:2009年 9月 2日(水)01時27分13秒
  9月1日防災の日のニュースを聞くと、「パパは関東大震災の10日前に東京で生まれた。お母さんのお腹の中で揺れるのがわかった」と笑いながら話していたのを思い出します。パパの誕生日は9・11テロの日。パパは知らずにいけたけど、ちょっと悲しい合致です。
 先日、パパがママの49日に書いた皆様へのお礼のお手紙が出てきましたよ。B5の紙6枚に及ぶ長い文。39年も前のことなのに昨日のことのように涙が止まりませんでした。ママの葬儀は5月の第2日曜、母の日でしたね。
 なんでうちの両親は変なことが合致するのだろう。きっと娘がわすれっぽいからだろうなぁ。忘れていませんよー! 安心してくださーい! じゃ、また!
 

お母さん

 投稿者:あんどう  投稿日:2009年 8月29日(土)14時28分2秒
編集済
   お母さん、
私はあなたがいなくなってから、
あなたの愛の深さを知りました、
あなたの素晴らしさを知りました、

 あなたは、病室で
「こんなバカな親からどうしてこんな頭がいい、
しっかりした娘が生まれてきたんだろう」
とうれしそうに言ってくれましたね。
 その時、私はその言葉を照れながら聞き流してしまいました。
叔父さんからも、私はお母さんの誇りだったと聞きました。

 ごめんなさい、お母さん、私の方こそ、私の方こそ
「こんな素晴らしい親なのに、
どうしてこんな愚かな娘だったのだろう」と思います。
私はお母さんがくれた愛の何分の一も返せなかったし、
その愛の大きさに気づきもしなかった。
 お母さん会いたいです

 人は死んだらどうなるのか、あの世はあるのでしょうか
「お母さんはきっと、あなたを見守ってくれているよ」
そうみんな言ってくれるけど、
じゃ、どうしてお母さんは会いに来てくれないのかな
 寝る前に、「お母さんに会えますように」と思いながら寝ています。
一目、あの世で幸せに暮らしているお母さんの姿が見たい。
 こんなに会いたいのに、会えないなら、
あの世なんてないのだろうかと思えてきます。
やはり死は無なのでしょうか。

 だって、本当にあの世があって、お母さんの魂があるのなら、
こんなにも私が会いたがっているもの、
きっとお母さんなら会いに来てくれるでしょう。
 絶対会いに来てくれるでしょう。
お母さんなら、何があっても私に会いに来てくれる

 でも、会えない
 私が単に、聞こえない、見えないだけでしょうか、

 もうすぐお母さんの誕生日です。
覚えていますか?
去年、病室で誕生日カードを渡しましたね。
 あのカードに私はこう書きました。
「これからは、毎年一緒に誕生日を迎えましょう、
これからは私がお母さんを守っていくから安心してね」と
今までの親不孝の償いの気持ちで書きました。
 でもまた守れなかった。
また口ばかりで嘘をついてしまいました。
ごめんなさい、ごめんなさい

 入院中、お母さんは
「亡くなったおじいちゃんがきっと守ってくれる、私は治る」
とずっと固く信じていましたね
 お母さん、今、おじいちゃんと一緒にいるのですか?
おじいちゃんに「どうして助けてくれなかったの、
私はまだ生きていたかったのに」って聞きましたか?
おじいちゃんは何って言いましたか?
私も知りたいです。お母さんをどうして助けてくれなかったのか。

 私が死ぬ時はお母さんに会えますか?
迎えに来てくれるのですか?助けてくれるのですか?

 私にはまだ死に光があるのかどうか分かりません
死を想うとき、恐怖で一杯です。
あなたがいなくなったことは
まだ私の中では悲しみでしかありません
よかったと、思えない。
 申し訳ないと思うばかりです、
 恋しいと思うばかりです。

 お母さん、
 

純子さんへ

 投稿者:さとう  投稿日:2009年 7月28日(火)03時53分40秒
  先日、名古屋の桜山教会で愛知国際病院の理事長である川原啓美先生の
講演があり行ってきました。

愛知国際病院にホスピスを作ろうということで、あいちホスピス研究会、
豊田ボランティア協会、名古屋YMCAなど市民の活動で募金集めをして、
名古屋に始めてのホスピスができました。

岐阜にホスピスを作ろうということで、ぎふホスピス運動を進める会が署名活動をし、
講演会を開き川原先生と訪問看護のナースの方に来ていただきましたね。

先生は現在、81歳だそうです。
3年前に奥さんを見送られ、その後、落ち込み遺族の方の気持ちがよくわかった。
とのことでした。
また、家族ケアの大切さを実感されたとのことです。

今は、立ち直り自分に与えられた役割が済むまで一生懸命にやろうと思っていると
話されていました。

夜勤明けでしたが行けてよかった、あのときの純子さんに会えたような気がします。
 

ありがとう

 投稿者:あんどう  投稿日:2009年 4月 9日(木)23時02分45秒
  母へ

 あれほど、死について語ることを拒み続け
生だけを、治ることだけを見つめ続けてきたあなた。

 最期の日までも、
今までで一番辛い、と言いながらも
必死でよくなろうとがんばり続けたあなた。
あなたは、最期の最期まで、「もうだめかもしれない」
という言葉は言わなかった。

 そんなあなたが、
「ありがとうございました、
お世話になりました」
と言った、最期の言葉は
死を受け入れることが出来たからでしょうか?
あなたの中でどんな変化があったのでしょうか

 私は感動しています、
そして誇りに思うのです。
「ありがとうございました
お世話になりました」
という言葉を私達に残してくれたことに

 私は許されているのですね、
 私は心配しなくてもいいのですね、

 あなたにしてあげたいことも
 あなたと一緒にしたいことも
 たくさんあった、
 それが出来ないことが辛くて辛くて
 生身のあなたにもう会えないことや
 自分の無力さに
 心が押しつぶされそうだけど

 私は許されているのですね

 あなたは今どこにいますか

 夫が「最期にありがとう、と言って逝く人は天国にいける」
と教えてくれた。
 人は最期の想いを抱いてあの世に旅立つという。

 だとしたら、私は悲しむ必要はないのですね

 むしろ、あなたの最期の言葉を大切に想うなら
私は嘆いていてはいけないのですね

 あなたを恋しく想う気持ちは変わらない
まだまだあなたと一緒に生きたかった。

 でも、少しづつ、少しづつ、

 あなたが逝くころ桜が満開になりはじめ
あなたの葬儀のとき、桜は満開でした。

 今日、お寺に桜を見に行きました。
満開の桜が今、散り始めています。
 桜吹雪が舞う中、
私はその美しさに見とれていました。

 桜が散ることは寂しいことではないですね

 精一杯生きて、
最期は潔く散っていく
 その姿は美しく気高い

 まるであなたの生き様のようだと想いました。
 

純子さんへ

 投稿者:さとう  投稿日:2008年11月18日(火)10時40分57秒
  昨日、外来受診の付き添いで岐阜大学病院へ行ってきました。
そこで、あなたを感じる事ができました。
エプロンをしてボランティアをしている人の中に、
置いてあった、ガン患者サロンのチラシに・・・
きっと、私を導いてくれたのですね。
病院の中で、患者サロンが開催されるのは、
あなたも願っていたことですよね。
あちこちの病院に、
がん患者さんが生き生きできる様にサロンができて、
サポートしてくれる医療者が増えるといいですね。
 

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