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渡辺京二と松原新一

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月25日(火)12時43分0秒
返信・引用
   誤植といえば、先日、Yさんが呆れた口調で、「G書房の本、誤植が多い!」と嘆いていた。福岡市内の出版社、それぞれ活躍中だが、校正・校閲のレベルは東京の老舗出版社の足元にも及ばない(もちろん、東京の版元でも、特に左翼系には、誤植が多い)。
 かの渡辺京二さんの石牟礼本を読んでいて、何でこの文字? という表記を見た。了解不能の文字(作字?)だ。わざわざ、原稿(書き文字?)に従ったのか。
 「稜角」の「角」が尖りすぎて、角の先が「甬」のように飛び出している。異体字にはあったか? それにしても痛いミスだろう(手元の中漢和では、俗字となっているから、間違いではない。しかしワードでは、この字体は出てこない。いくら御本人が、この字体を主張されても、編集=校正者としては訂正しなくちゃ)。
 加えて、「怪訝」に「かいが」のルビ、まさに怪訝の念に包まれる。

 「敍説Ⅲ」14号(2017.4)には、拙稿「批評とは何か―松原新一の「苦海浄土」論をめぐって―」を発表した(あはは、自己宣伝です)。渡辺京二と松原の関わりを考えるための出発点には、辿りつけた。課題へ向かうのは、今からだ。
 
 

読書人ほか

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月25日(火)06時18分57秒
返信・引用
   ここのところ、必要あって鶴見俊輔の著作を拾い読みしている。
 森元斎『アナキズム入門』(ちくま新書、2017.3)では、アナキズムに関心を持ったのも鶴見が機縁だという。
 「週刊読書人」(2017.4.21)に、「わたしにとっての鶴見俊介」の見出しが掲載。5月21日のイベント紹介だ。一瞬、別人の話か? と思うも、本文では「鶴見俊輔が逝って二年」とあるから、「俊輔」の誤植だった。
 「出版ニュース」の誤植は常態化していたので、「読書人」お前もか! の思い。
 その「読書人」の文芸時評(月評)が、今年1月から馬場美佳・福島勲の対談形式「二人冗語」で続いていることを、二人の同僚(元と現)のMさんに教示される。時評類は、対象作品も読んでいない(読む気もない)ので、スルーして気付かずにいた。
 「出版ニュース」(2017.4.21)には、金成妍『久留島武彦評伝』(求龍堂)と、石川巧編『国際女性・復刻版』(金沢文圃閣)に関する記事が掲載されている。二人とも文学批評誌「敍説」同人。本日、半年も遅れた「敍説Ⅲ」14号が刊行・発送になる。
 

模様替

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月24日(月)11時19分9秒
返信・引用
   一段落すると、あれこれの模様替をしたくなる。また、次の仕事に取り掛かるためにも必要だ。
 無線の受信状況が、同じ室内でも場所によって微妙に違う。やはり、電源機器に近い方が、インターネットのアクセスもいいので、大幅に配置を入れ替えた。それまでパソコン・デスクの周囲に、都合よく置いていた参考図書・資料類も、慣れるのにしばらくかかる。
 先日は、ベッドサイドの本棚(主に文庫本。天井までの9段)の模様替をする。二重になっているため、裏側に何があるのかが、よくわからなくなっていた。ここに並べたのも、積読図書と同じく、当面、読もうと思って配架したものなのだが、早くに溢れている。いつになったら、せめて二重にせずに済むだろうか。
 

佐世保文学者会

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月21日(金)11時07分50秒
返信・引用 編集済
   長崎県佐世保市の九州公論社が出している「虹」の竹森久次追悼号(1987.2 通巻415号)を入手する。
 この雑誌については、思想の科学研究会「日本の地下水―サークル雑誌評」(「中央公論」1956.4~59.10)のなかで、2回(56.7/59.7)にわたって紹介されていた。
 最新の国会図書館データを見ると、月刊で継続中(ただ、検索方法が悪いのか、佐世保市立はじめ長崎県内の公共図書館所蔵を確認できない)。
 筋金入りのコミュニストだが、愛郷心も強く、亡くなる数年前に琴海町立尾戸小学校(現・長崎市立)に1千万円を寄付、記念の顕彰碑も建立されたという。たぶん、現存しているだろう。機会があれば、是非見たいものだ。
 「略歴」は、「1912年長崎県西彼杵郡琴海町尾戸郷生れ。〔早稲田大学を中退後〕風俗資料刊行会、消費組合、軍隊、芝書店(戦前)。佐世保にて古書籍商〔屋号は陸奥書房〕・軍隊(戦時中)、戦後九州評論社を創立し〔福岡市を経て〕上京して五月書房と変更、同社〔社長を退き〕相談役。昭和61(1986)年12月28日、午前7時15分〔胆嚢癌のため〕没。」
 スカラベ人名事典には、妻・ハツヱは拾えたが、竹森久次については正確な来歴を摑めずにいた。〔 〕内は、追悼文などから補っている。
 「虹」発行人の河口憲三が「佐世保文学運動の先駆者の出版人生 竹森久次さんという人」という長文(10ページ)を書いている。
「〔竹森が九州評論社で活躍中の〕その頃、私は九州評論社の近処の金子ビル(土木建築金子組)3Fに時事通信と共同通信の二つの通信部を家賃無料で併設し、家賃無料の条件として、北村徳太郎親銀〔親和銀行〕頭取と金子正社長の要請で「佐世保商工新聞」を創刊、……本業は通信社の取材であり、時事通信社の出版物の配布(販売)であった。その中でのベストセラーになった徳田球一の「獄中十八年」(22年2月刊)は佐世保だけで二万部を売った。つづいて野坂参三の「亡命十六年」(22年2月刊)が刊行されたが、「亡命十六年」とその刊行に先立つ黄炎培の「延安報告」(21年5月刊)は余りいい売上げではなかった。やはり徳球さんであった。/この時事通信社の三大左翼文学本の出版に並んで、二つの通信社に隣接して、竹森さんの若い日の文学運動グループの最左翼であったマルキストの川畑熊男さんが金子正社長の金持土建屋の道楽商売といわれた「新興芸術社」の編集責任者として頑張り、これに矢動丸広が協力していた。/……つまり終戦直後から二十三年にかけて、竹森さんの「九州評論社」と金子正さんの「新興芸術社」が同じ左翼系の文学書を地方出版とはあなどれぬ本作りを地方向けや中央向けに打出していた。」
 このほかに、高木護・上村肇なども追悼文を寄せる(井上光晴も2ページ分の詩を送るということだったようだが、どうなったのか)。
 戦前期からの同志や親族の証言は、どれも得難い。ただ、上村が語る「佐世保文学者の会」から「佐世保文学者会」への変貌には、1940年前後の大政翼賛会傘下の文化運動の影響だが、そのことはまったく触れられない。彼らは1941年12月9日に一斉検挙され、竹森と川柳の広岡義明は長崎拘置所送りになったという(つまり起訴され、治安維持法違反の裁判になったはず)。
 いわば「佐世保文学者会事件」ともいうべき弾圧事件が、ほとんど語られてきていないのは何故だろうか(山田かんは『古川賢一郎 澁江周堂と戦争』=長崎新聞社、2008.12=のなかで触れる)。詩人・渋江周堂も犠牲者の一人。事件の当事者はいなくなったが、「虹」バックナンバーには、関連記事が数多く掲載されているようだ。
 

伊藤野枝の墓石

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月20日(木)12時01分35秒
返信・引用
   栗原康は『村に火をつけ、白痴になれ』の冒頭に、「自然石でできた野枝のお墓」訪問の顚末を語る。加えて転々とした墓石の「歴史」も。年表ふうに簡略化する。

 1923年9月16日 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一、虐殺される。
 1923年10月16日 糸島郡今宿村今宿(現・福岡市西区)での葬儀、木の墓標を設置か。
 1924年8月 今宿の浜に自然石・無銘碑の墓を建立(父・伊藤亀吉と叔父・代準介による)。 ※その後、ことに戦時期は「非国民の墓」と受難したと、何かで読んだ記憶がある。
 1958年 近所の庭石となる。
 1980年4月 西光寺(福岡市早良区内野)に移す。
 1995年8月 現在地の今宿上ノ原に移す(伊藤ルイによる。野枝「生誕100年」)。
 1996年6月28日 伊藤ルイ死去。

 上記には、矢野寛治『伊藤野枝と代準介』(弦書房、2012.10)も参照した。同書では「叶ヶ岳の中腹にある」と写真のキャプションに記載。墓石については、伊藤ルイの訃報(「朝日新聞」96.6.28西部版夕刊)でも紹介されている(墓石の傍らに立つ故人の写真も掲載)。
 この墓石、かねてから訪ねたいと願っていた。昨日、ようやくその念願が叶う。「叶ヶ岳の中腹」というので、叶岳・高祖山をあまねく歩こうかとも思っていたが、詳しい案内地図を知人に書いていただき、Yさんの車で辿りつく。「野枝のたたりじゃあ!」(栗原)を考えると、ちょっと、一人で行くのが恐かった。こういう事柄が大好きなYさんは、喜んで車まで出してくれる。
 事前にグーグルマップ・ストリートビューでも確認していたが、やはり離合不可能な山道が続く。もっとも、行き交う車も人もない(それにしても、ストリートビュー、墓石の横までは入っていないが、近くの分岐路はよくわかった。なんで、こんな行き止まりの山道を?)。
 自然石、当初から三つに割れていたようだ。3人の墓なので選ばれたのだろうか。
 それにしても、軽々と運べる代物ではない。もう「しずかにしてあげよう」と非公開になっているが、いやいや、もっと祟れ!
 

同人誌の人々

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月19日(水)04時48分7秒
返信・引用 編集済
   未処理案件の解決第1号は、「西日本新聞」北九州版連載の「同人誌の人々―北九州文学人脈」にした。
 1974年4月7日~75年6月8日の45回。毎週日曜日に掲載だが、ひと月近く飛ぶこともある。担当記者は不明のまま。大正時代の創生期から戦中期までを辿る。阿南哲郎資料だけでなく、連載当時は、岡田武雄や志摩海夫など関係者多数も存命で、彼らの証言とともに、所蔵していた雑誌現物も紹介している。
 詩人・小説家だけでなく、短歌・俳句にも及ぶ(川柳はない)。数多く、知らなかった事柄が出ている(例えば、能美千秋が戦後「追放」=公職追放のはず=されていたこと)。
 かなり前に、安田満さんの文章に教えられて、2回分を図書館所蔵の原紙からコピーしていたが、綴った原紙の閲覧もコピーも難儀で、ずっと躊躇っていた。北九州版だけが集められたDVD版があり、短時間で全部の閲覧・コピーができた。ただ、戦前・戦中期の北九州版を見たいが、これは、現在のところ原紙でも不可能な状態だ。
 

講談の復活

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月18日(火)07時13分48秒
返信・引用 編集済
   早朝のNHK「ラジオ深夜便」には、いろいろと教示を受ける。
 夢うつつのなかでも、印象に残る声と話がある。思わず、聞き流せずに、覚醒することもある。
 先日も、寮美千子の話を聞いて、慌てて彼女が編集した『空が青いから 白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集』(新潮文庫)を読む。詩の持つ力を、初発の言葉の力を、実感をこめて熱く語る声は、早朝にふさわしい爽やかさだった。
 声、とくに女性の声は、なかなか年齢を判断しにくい。声優ともなれば、なおさらだ。
 今朝は、元・麻上洋子(「宇宙戦艦ヤマト」の森雪役が有名という)の講談師・一龍斎春水が、中村久子のことを熱く語る。連続10話で完結の長篇講談という。
 しょうもない、軽薄なコントばかりが流行るTV界。漫才ともいえない素人芸が人気を呼び、その芸人が跋扈する変な芸能界。長い落語・講談は、ほとんど放映されない。そんな状況だからこそ、逆手に講談の復活もあるのではなかろうか。佐渡情話も、また聞きたい。
 寮美千子も、麻上洋子=一龍斎春水も、中村久子も、まったく知らなかった。もっと知りたいと思う。両手両足を切断していた中村久子は、乙武某の「五体不満足」が話題になったとき、少しは触れられたのか。ボクは知らずに来た。
 

早起きどけい

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月17日(月)20時39分31秒
返信・引用 編集済
   1937年の童謡「早起きどけい」を、先だってFMラジオで聴いて、30年以上も前に、毎朝歌っていた元歌が判明した。

♪チックタック チックタック ボーンボン
 おはよう おはよう 夜が明けた
 きれいな朝だよ とびおきろ

 この2行以下を、次のように替えて、保育所へ行く時間になっても、なかなか目覚めない娘たちを鼓舞するために、歌っていた。
♪おはよう おはよう ××起きた 今日もみんなでがんばろう
 作詞は富原薫、作曲は河村光陽。河村光陽(1897~1946)は、「かもめの水兵さん」や「グッドバイ」で知られる。福岡県田川郡上野村(現・福智町)生まれ。生誕地記念碑は、一度訪ねたように覚える。
 このメロディー、どこから定着したのだったか。今では、娘たちが、自分の息子たち相手に歌っている。元歌を、完璧に忘れていた。
 河村には、多大な恩恵を蒙っている。今度、機会があれば、お礼に記念碑を再訪しよう。
 

アナキズムの復権

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月17日(月)08時19分37秒
返信・引用
   森元斎さん(「もとなお」だが、いずれ「シュンテン」みたいに、みんな「ゲンサイ」と呼ぶだろう)の『アナキズム入門』(ちくま新書、2017.3)が面白い。
 「革命―プルードンの知恵」「蜂起―バクーニンの闘争」「理論―聖人クロポトキン」「地球―歩く人ルクリュ」「戦争―暴れん坊マフノ」の5章構成。ヨーロッパの5人を紹介する。
 森さんは、1983年生。年収○十万を公言する大学非常勤講師などで稼ぐ非正規労働者。
 現在、福岡市近郊で古家を改装したコミューン(もどき)=梁山泊を構想中。
 彼(ら)が復権を目指すのはアナルコ・コミュニズム(無政府共産主義)。相互扶助・反権力(権威)・自由連合に、義理人情も加えたい。渡世人って、アナキストに似る。
 西洋哲学からアナキズム研究にシフト・チェンジしたのは、ホワイトヘッドと金子文子を並べて論じる鶴見俊輔に触発されたもの。前著『具体性の哲学―ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(行路社、2015.11)の最終章は、「アナキズムのほうへ」だった。
 前著は大阪大学へ提出した博士(人間科学)論文がもとになっている。その文体から、新書はまったく変わる。「いつも心に革命を。それがなければ生きていかれんばい」(「いつも心に太陽を」のパロディ)、「マルクスはむろん、猛烈に面白い文章も書く。……しかし、……本当に嫌な奴!」(思想性と人間性は、多くの場合に一致しない)。テンポの速い、ポップ調は読み易い。しかし、理論の骨格は明確だ。軽薄ではない(些細な事柄を指摘すれば、前著では大逆事件の事実認識に齟齬があった。新書では、プルードン『貧困の哲学』の刊行年(1846年)が1848年になっていた。こちらは単純な誤植。編集=校閲者のミス)。
 栗原康の伊藤野枝評伝『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店、2016.3)に続く、アナキズムの好著だ。森さん、秘かに「村」に、アナルコ・コミュニズムの「火」をつけようとしているのだろう。反権威・反権力で生きていくには、徹底したバカになることだ。ガンバレ、梁山泊コミューン!
 

50年後

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 4月16日(日)06時13分7秒
返信・引用
   清水芳太郎が、1929年に50年後の予言をしている。
 『人間の改作』(平凡社、1929.11)所収の「五十年の眠」だ。このSFまがいの作品も、やはり「九州日報」掲載。50年後に眠りから醒めたという設定の物語だ。
 1929(昭和4)年4月3日から「50年3月」後、つまり1979(昭和54)年7月に、タイムスリップする(カレンダーには1980年とある。「昭和」の元号使用は避けている)。
 日本の人口は1億を超えた。福日(福岡日日新聞)と九日は「東洋の二大新聞」となっている。なぜならば、博多は「東洋第一の都会で、人口四百万を越えてゐる」、「商工業及び金融の中心地」となっていた。「今日では福岡の新聞が中央新聞」である。
 中野正明(正剛のこと)が、内閣首班になって活躍していた。公娼制度も廃止されている。50年後の予言には、いろいろとおかしな箇所もあるが、次は見事に的中している。
 「……進藤市長が就任しました。」「ちよつとまつて下さい。進藤市長と言ふのは喜平太氏の令息ですか。」「さうです。」……「今も市長です。今度で三回目です。……」
 進藤一馬(1904~92)は、喜平太の4男。1972年から86年まで福岡市長に4回当選した。1980年は3選目にあたる。清水は、25歳の一馬の将来に期待したのだろう。早稲田の後輩、同じく中野正剛門下として、雑誌「我観」でも同じ釜の飯を喰った仲間だったようだ。
 

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