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「闇の声をきざむ」

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月14日(土)08時22分8秒
返信・引用
   福岡市文学館の「上野英信展―闇の声をきざむ」が開催される。
 日時 2017年11月10日~12月17日
 第1会場は福岡市総合図書館1階ギャラリー 第2会場は福岡市文学館(赤煉瓦文化館)
 いつもながら、会場が早良区百道浜と中央区天神と離れているが、ご容赦を。
 イベントは時間順に、紹介する。
11月16日(木曜) 赤煉瓦夜話「筑豊文庫の日々」(上野朱) 会場は赤煉瓦館ではなく、アジア美術館8階あじびホール(博多区下川端町)
11月23日(木曜・祝日) 講演会「上野英信と沖縄」(三木健) 総合図書館3階会議室
11月29日(水曜)・12月5日(火曜) 読書講座『地の底の笑い話』(岩波新書) 赤煉瓦文化館2階会議室
12月9日(土曜) 講演会「私は神ではない、怨霊だ」(川原一之) 総合図書館3階会議室
 すべて入場無料だが、一部事前予約が必要。時間など詳細は、赤いチラシ(表は黒い鋭角のボタ山)を入手して参照してください(イベントが多すぎて、書き込むのが大変)。
 なお、「闇の声をきざむ」は英信のエッセイ「闇の声をきざむ―「近代民衆の記録・鉱夫篇」を編んで」(「朝日新聞(西部本社版夕刊)」1971.12.4→『骨を嚙む』所収)の題名から。
 「闇を砦として」「奈落の星雲」「骨を嚙む」等々、英信の全体像を象徴するキャッチフレーズはいくつかあるが、これが今回は選ばれた。
 
 

「スカラベの会」HP一時閉鎖

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月13日(金)05時30分32秒
返信・引用
   1998年4月以来の「スカラベの会」のホームページを、プロバイダー(KDDI)のサービス終了にともない、一時閉鎖します。
http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/index.html
 以上での公開は、2017年10月31日をもって終了します。

 なお、「人名事典」と「福岡都市圏文芸年表」は、引き続き九州大学のHPで公開です。このどちらも、メンテナンスが必要ですが、まったく対応できないままです。
 今度、再開するときは、内容に追加・訂正を加え、ヴァージョンアップを果たしたいものです。
 みなさま、長いあいだ、ありがとうございました(ただし、本掲示板は続行です)。
 

街を歩く

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 9日(月)08時20分18秒
返信・引用
   久々に北九州・小倉の中心街を歩いた。
 JR西小倉駅に降り、北九州市立中央図書館へ寄り、あと勝山公園から魚町銀天街を通り、堺町公園前まで(主目的は、ここでの出版記念会の約2時間)。帰途は小倉駅へ戻り、JRで帰宅。
 あとで地図を見ると、勝山公園からは、大通りを直進すれば堺町公園に辿りつく。街を歩きたいと思ったのは、何が、小倉の街の魅力をボクから失わせてしまったかを、現地を歩きながら考えたかったから。
 10代後半から、小倉の街に出るのは楽しみだった。
 魅力がなくなった理由は簡単だ。金榮堂書店がないから。「試行」や吉本隆明はじめ、1970年代当時の日本の思想・文学の最前衛を手に取って見ることができたのは、ボクの近辺では金榮堂だけであった。
 その跡地のビル前を通る。
 思い起こせば、魚町界隈の古書店もめぐり、ちょっと、北九州大学のある北方まで、西鉄電車で足を延ばせば、未来書房もあった。そこはそこで、他では見ることのできない古本・雑誌が並んでいた。
 激動の時代のなか、しばしの至福の時間だった。
 金榮堂が閉店して何年が経つだろうか。
 小倉の街へ出るのは、よほどの用件がないかぎり、ない。「小倉ブックフェス」や「まち歩きマップ」を入手してきたが、「金榮堂のない小倉は、小倉じゃない」。(あくまで個人的な感想です。)
 

元祖阿保はわしじゃ

 投稿者:糞ころがし  投稿日:2017年10月 8日(日)16時09分47秒
返信・引用
  下々の皆さんはわしのことを阿保太郎と呼んでござる。じゃが、わしは漫画ぐらいは読んじょるぜ。
漫画も読めんようじゃ本格的阿保じゃ。なあ、スカブラ・ヒロシ君よい、あ、いや、スカラベ・ヒロシ君じゃった。最近、漫画を読む暇もなかけん、脳ミソが停滞して何かよう言い間違えるっちゃ。そうそう、ヒットラーのことも、たい。ひっ捕らえろなんて言うてくれるなよな、ヒロシ君。
 

アホノミクスとユレノミクス

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 7日(土)11時02分20秒
返信・引用
   阿呆心臓と古池揺れ子、どちらも経済優先でものごとが片付くと信じてやまないノー天気の人物か。景気回復? くそったれだ。
 人は常に一定の信仰(思想にしても、宗教にしても同じこと)から、自由にはなれない。そして、信仰の最高形態は、「無信仰」と思い込むこと。それを回避するには、自らの信仰に自覚的になるほかはない。
 いつから、日本人は金もうけ主義になったのか。余り使いたくないが、イエスが引用する古い格言、「人の生くるはパン〔経済・金・景気〕のみに由るに非ず」を、政治スローガンにしたくなる。もっと威勢〔「景気」は使わない〕のいい言葉はないか?
 

「月刊たかまつ」復刻

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 6日(金)13時30分38秒
返信・引用
   上野英信が深くかかわった「月刊たかまつ」(1956.11~58.3、後継誌の文芸誌「たかまつ」をふくみ全11冊)の復刻版が、11月中には出る。
 「サークル村」前夜を名実ともに象徴する、日炭高松のサークル協議会誌。英信没後30年の今年、全国各地から多発的に顕彰・検証が続く。
 京都の三人社の刊行(B5判上製、総360頁、本体定価24,000円)。解題(解説)は茶園梨加さん。北海道のMMさんと、不肖わたくしめが推薦文を寄せる。
 本日、内容見本が到着。早速、明日も宣伝行動だ。
 また、四國五郎のフルカラー画文集『わが青春の記録』全2巻(三人社、総1100頁、本体定価48,000円)も年内刊行という。
 どちらも個人購入より、図書館リクエストをお願いしたい。
 

『地の底の笑い話』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 5日(木)16時50分48秒
返信・引用
   上野英信の『地の底の笑い話』(岩波新書)は、先月復刊されたようだ(まだ見ていない)。
 このなかの「八木山越えの話」は、池澤夏樹=個人編集の『日本文学全集』第27巻「近現代作家集Ⅱ」(河出書房新社、2017.5)に収録。
「解説」に曰く、「上野英信は筑豊に暮らしたルポルタージュ文学の作家である。ノンフィクションはジャーナリズムの延長上にあるが、ルポルタージュ文学はもう一歩だけ文学に近づく(上野とも行き来のあった石牟礼道子となるとまるまる全部が文学である)。」
 へえ~、と「文壇」視線のいかがわしさに、変に納得。「文学」―ルポルタージュ文学―ノンフィクション―ジャーナリズムという階層構造か。
 この前には、川端康成「片腕」三島由紀夫「孔雀」、後には大庭みな子「青い狐」(これで、この巻は終わり)。
 また、同じく「スカブラの話」(「スカラベ」に非ず)は、『ちくま文学の森』第9巻「怠けものの話」(筑摩書房、1989.3)に収録。この巻は通して読みたくなる編集だ。
 

尹健次詩集『冬の森』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 4日(水)07時03分46秒
返信・引用
  くもり空 日本に渡ってきたオモニ
息子の書いた本を読んでみたいと
六七歳で入った夜間中学校
月夜を友に 定時制高校も卒業

本棚の端っこに鎮座する八〇歳の自叙伝
そこに挟み込まれた一通の手紙
妻と派手な諍いをしたとき
息子を諫めるために書き送ってきたもの
まだ未開封だが そのはず 「オモニ(はは)の手紙」

 久しく手に取ることのなかった尹健次(ユン・コォンチャ)の本を、読もうと思ったのは、上野英信・森崎和江をはじめ「サークル村」の朝鮮へのまなざしに注目していることを知ったからだ。それは『思想体験の交錯―日本・韓国・在日 1945年以後』(岩波書店、2008.7)に収められている。
 そのなかに、詩の引用が多い。わざわざ目次のあとに「収録詩一覧」まで作成されている。「在日」をふくめ朝鮮人の詩人が多いなか、森崎和江は2篇だ。知っている詩人では、ほかに複数は金時鐘・許南麒・金芝河。
 著者に詩集があることを初めて知って、あわてて古書購入した。『冬の森』(影書房、2009.6)。
 詩集は百にひとつ、いや千にひとつに近い確率で、「当たり」はないものと思っている。詩人には失礼だが、ほとんどを読み捨てていく。読み流していく。当方の心にとまる言葉ひとつとてない。
 『思想体験の交錯』に詩の引用が多いのも納得。平易な言葉に詩情が溢れる。「在日」1世のオモニは、日本語を話せても読めない。「識字」のため学校へ通い、さらに「自叙伝」を書く。おそらく母は亡くなっている。そして、妻・嘉子(カジャ)も。
 この詩集『冬の森』の前半は、妻への挽歌だ(後半は、若き日のガリ版詩集『旅路』=1966.5=の「復刻」)。献辞は「遠くに旅だった妻/尹嘉子を偲んで――」。
 2008年7月、『思想体験の交錯』は妻の肺がん闘病生活のなかで刊行されている。刊行を見届けるように、12月8日逝去。著者は妻を死なせたのを「私にとっては痛恨の極みであり、人生最大の失敗であった」と振り返る。
 Aで、最低価格で購入したのが申し訳ないような。まだ3冊も残っている。価格と価値が一致しない好例だ。
 

「萬歳」と「万才」

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 3日(火)07時16分46秒
返信・引用 編集済
   1日の「毎日新聞」西部本社版「日曜カルチャー」に、酒井充子監督のドキュメンタリー映画「台湾萬歳」(2017)について、長文の紹介記事(渡辺亮一記者)が掲載されている。
 台湾映画「愛情萬歳」(1994)鑑賞を契機に、台湾に関心を持ったという。「台湾人生」(2008)「台湾アイデンティティー」(2013)とあわせて、台湾3部作という。
 映画の内容はおいて、「萬歳」の漢字表記に目をとめた。中国本土の簡略字体と違い繁字体(日本での通称「旧字体」)の台湾ゆえの「萬歳」で、それ以上の意味はないのだろう。
 それにしても、「万」と「萬」、「台」と「臺」(ほかには「灯」と「燈」、「欠」と「缺」など)は、もともとは別の漢字。
 時折「臺灣」表記も見るが、現地では「台灣」が主流か。日本人向けには「台湾」が圧倒的だが、戦前の地図を見ても、「台湾」「臺湾」「臺灣」とまちまちだ。まあ、どれでも特定できるから許容というか、寛容なはず。ちなみに、簡字体では「台湾省」。
 一方の「万才」=漫才に通じるのか。「万歳」と「萬歳」の表記の違い、まだ悩んでいる。
 日本政界における漫才の結果で産まれた「立憲民主党」、思わず立憲民政党を連想する。レトロだなあ。せめて「護憲民主党」と旗幟鮮明にすればいいものの、それも気色(旗色)悪いか。

 ↑「護憲民主党」→「改憲民主党」に訂正。
 

「阿呆が」二唱

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年10月 1日(日)20時10分46秒
返信・引用
   9月29日の「朝日新聞」朝刊「天声人語」欄は面白かった。
 「万歳」三唱にまつわる逸話だ。「天皇を祝賀の場に迎える際、民衆が一斉に発する祝いの言葉」の議論で、当初案には、「フレー」も。提案された「奉賀」三唱を実際に発声練習すると、「ほうがあ・ほうがあ・ほうがあ」で、どうしても「阿呆が」が二つ聞こえる。代わりの採用が「万歳」三唱という。「天皇陛下万歳」の起源である。
 バカの一つ覚えならぬアホの一つ覚え、いや安倍の一つ覚えとも言う(若干、空虚なスローガンの数は増えたにしても)。「アホノミクス」、不倫報道もふくめた「淫象操作」、ますますハイテンションな「一億躁活躍社会」、その行きつく先は「アホつくり革命」か。上からの革命など、金輪際願い下げだ。
 また、昨今の政治家スキャンダルなどを見ていると、やはり政治家は「厚顔無恥」でないと務まらない商売と見える。ああ、いやだ。
 

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