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『無名鬼の妻』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月14日(水)06時38分59秒
返信・引用
   山口弘子『無名鬼の妻』(作品社、2017.3)を、ようやく読む。
 書評も出ているようだが、刊行直後にMさんのブログで知る。Mさんは、村上一郎の命日(3月29日)に、その感想を記す。
http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/

 いろいろと感ずることの多い好著だ。躁鬱病に苦闘した村上一郎と生きた妻・長谷えみ子の現在までを、赤裸々ではなくとも、しっかり必要な事柄は、記述されていく。村上についての誤伝も抑制のきいた表現で指弾される(そのため、確認を取れずにいる事項も残るが)。「戦争」と「軍隊」に傷ついた繊細な村上には、痛ましさだけが残る(これが、妻の抱き続けた感慨だろう)。東京海軍監督官事務所(東監)での出会いと「恋情」は、いかにも村上らしい。
 村上の来歴についても、1点のほか、おかしな箇所は気付かなかった。東洋経済新報社「総合」5号(1957.9)が、「典型」5号(1959.2)となっている(129頁)。また、校正もしっかりしていて、『降りさけ見れば』(208頁、『振りさけ見れば』が正しい)以外には誤植を見つけることができない。近年の類書では、編集技術的にも抜群の仕上がりだ。
 
 

「政治少年死す」

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月12日(月)14時22分51秒
返信・引用
   大江健三郎の「政治少年死す」(「文学界」1961.2)が、ようやく公刊されるという。
 「朝日新聞」6月10日の文化・文芸欄が、来夏(1年後の2018年夏ってことか)刊行開始の講談社版『大江健三郎全小説』(全15巻)の第3巻に収録と伝える。
 「セヴンティーン」と、その第2部「政治少年死す」を読んだのは、確か17歳。このころから、大江・安部公房・倉橋由美子・開高健と新潮社版『全作品』シリーズを買い求め、読み進めていた。大江に関しては、『全作品』(第1期)に未収録分も、掲載誌を探して読んだように記憶する。
 「政治少年死す」は、黒表紙の雑誌からの複製印刷版を、学生運動家の縁かで容易に入手できた。けっこう高価(高校生の身分では)だったはず。でも読みたかった。
 先日も、とある資料を処分処理中、右翼関係文献のなかから、タイプ印刷版『政治少年死す』が出てきたので、保存した。表には「セブンティーン・続編」とも記載。ただし、全45ページのうち、冒頭の1~4ページが欠。落丁本だった。まあ、初出の複製版があるので、かまわない。ほかにも、各種の「海賊版」が流布していたようだ。発禁本ではないが、戦後の「秘密出版」ともいえる(ただし、作者は関わっていない)。
 「セヴンティーン」は、初刊(『性的人間』新潮社、1963.6)以降、『全作品』『大江健三郎小説』などや、岩波文庫版『大江健三郎自選短篇』(2014.8)にも収録された。
 久々に、まとめて作品を読んでみようとも思うが、いつになるやら。「来夏」も過ぎるだろう。それにしても、書庫の奥で、いちばん辿りつきにくい場所だった大江の本も、すぐに出せるようになっている。
 ところで、新潮社版『小説』全10巻(1996.5~97.3)があるので、今度は『全小説』か。『全作品』といい、書誌的には、きわめて紛らわしくなる。
 ああ、なんていい‥‥
 愛しい愛しいセヴンティーン
 

身辺整理

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月 9日(金)21時47分54秒
返信・引用
   長期的には「終活」の一環になる資料整理が、なかなか進まない。
 いちばん大量に処分する必要があるのは、約20年間の編集者時代の資料。大箱20個が待ち構えているが、その一つ目で停滞中。ほかの予定を先行させないと、間に合わないので、しばし保留。積読中の山の整理には取り掛かる。数えたくなかったが、約150冊。これを順次、取り崩し、最終的には、未読分も本棚に収める予定(その本棚に余裕がない)。
 主に人名別で整理している読書カードも、数年ぶりに見直していく。図書カードとリンクさせたリストは、エクセル・データで作成しているが、450名近い名前が挙がっている。そのなかには、本(主に文庫本)を揃えただけで、ほとんど読んでいない作家も多い。何か必要があるときは、すぐに参照するためだ。
 10代半ばからの読書カードも、すべてをデータ化したい思いはあるが、でも何の役にも立たない。むしろ、空しくなるばかりだろう。多田茂治さんの連作小説集『多摩困民記』で、千葉卓三郎「読書無益論」(1883)を知る。
 

『国権と島と涙』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月 8日(木)20時08分40秒
返信・引用
   三山喬『国権と島と涙―沖縄の抗う民意を探る―』(朝日新聞出版、2017.4 本体定価1500円)を読む。予告では、『沖縄が問う(仮)』だったもの。
「沖縄保守を新たな視点で取材し、沖縄県民の潜在意識に迫った渾身のルポルタージュ作品。「週刊朝日」に4部にわたって連載された「憤怒たゆたう」の内容を大幅に加筆して単行本化」(「一冊の本」2017.4)
 「憤怒たゆたう」シリーズは、2015.8.28~16.11.25の連載という。平成天皇夫妻に火炎瓶を投げつけた「ひめゆりの塔事件」(1975.7.17)の知念功の回だけは、確か図書館のバックナンバーからコピーした。ほかも読みたかったので、単行本になったのはありがたい。
 三山曰く「沖縄を舐めるな――。二年前の県民大会で、知事メッセージのニュアンスをつかみきれず、その意味合いを無邪気に聞き歩いた自分の罪深さ」、「ヤマトにも恥を知る心はまだ残っている。私はそう信じたい」。
 高みからの取材ではなく、地べたから、また先入見の訂正を迫られていく、フリーライターの立場。上質のルポに仕上がっていて、さまざま点で認識を新たにされる。ただ、「朝日新聞」本紙での紹介や広告は記憶にない(見落としているのだろうか)。オキ本としてオススメの1冊。
 

花田俊典ゆかりの本2点

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月 7日(水)09時41分50秒
返信・引用
   金成妍『久留島武彦評伝―日本のアンデルセンと呼ばれた男―』(求龍堂、2017.2 本体定価1500円)。
 ソンヨンさんが、久留島武彦に取り組む契機は、2014年春「当時通っていた九州大学〔六本松キャンパス〕の正門前で、恩師が亡くなる三日前に手渡してくださった本」によるという。研究テーマの巌谷小波に関連して、久留島武彦追悼集を渡したのだった。それを「亡き恩師からの最後の宿題」として、ひたすら「久留島武彦」を追い求めて、今日、それは大分県玖珠町の久留島武彦記念館としても実現した。ソンヨンさんは、従来の研究所所長から館長に就任した。花田俊典の撒いた種が、また一つ開花したのだ。

 崎山多美『クジャ幻視行』(花書院、2017.6 本体定価1500円)。
「このマチが、アメリカさんのでもニッポンさまのでもなかった時代ってのがあったの、あんた知ってる? ひたすらビンボーばっかでそれなりには平穏無事だった時代ってのが昔あったわけよこのマチの周辺シマジマには。」(「孤島夢ドゥチュイムニ」)
 以下、「クジャ奇想曲変奏」まで、幻想の「コザ」を舞台に繰り拡げられる7篇の連作小説集。昨年11月の『うんじゅが、ナサキ』(花書院)に続く、「すばる」掲載の小説集2弾目だ。こちらは、2006~08年の分。東京の文芸出版社は、「売れない」という理由で刊行もできない体たらくさ。文学への志を失った堕落さ。
 花田俊典と作者の友誼を縁に、ふたりに関わるたくさんの方々の努力で、福岡の花書院から刊行できた。発行日は、命日の6月2日。その日に無事に間に合い(『校書掃塵』とは大違い)、作者の手にも直に渡せた。
 あとは、2点ともに売れることを願うのみ。よろしくご協力を。
 

久留島武彦記念館

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 6月 3日(土)08時31分10秒
返信・引用
   「朝日新聞」大分版の記事(5.15)が、ネットでも読めることを、昨日Nさんから教えていただいた。公開は13日になっている。新聞掲載より先だったのか。
 写真と、文章(特に終わりの方)に感慨深くする。

http://www.asahi.com/articles/ASK593CMPK59TPJB005.html
 

アルツィバーシェフ・追々記

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 5月30日(火)08時23分28秒
返信・引用
   中島清訳『サアニン』を読むための、あれこれの事前調査に手間取り、厚い本体(約650頁)を手元に置きながら、まだ踏みきれずにいる。
 その前に、久留島武彦と石牟礼道子の評伝にも目を通さないといけない。
 谷川雁「熱い泥の激突」を再読していたら、「ブロークの長詩「十二人」のおもかげ」という箇所があり、驚く。そうか中山省三郎が訳したア・ブロォク『詩・十二』(柏書房、1946.4)は、ボリシェヴィキ革命兵士の歌だった。「進め、進め、進め、/労働大衆!」
 原書からのアンネンコフの挿絵が、モダンで面白い。
 アレクサンドル・ブローク(1880~1921)
 ミハイル・アルツィバーシェフ(1878~1927)
 ほぼ同時期を生き、1905年から1917年、ロシア革命時代を生きた詩人・作家だ。
 なお、彼らの翻訳書、明治・大正・昭和前期の数多くが国会図書館のデジタル・ライブラリーで閲覧可能だ。武林無想庵訳『サニン』も改造文庫版が読める。ただ、電子書籍のように画面で読むのが嫌いなボクは、必要箇所をプリントアウトする必要があるため、けっこう手間がかかる。それにしても、稀覯書に近いものも、容易に読めるのは、正直ありがたい。アルツィバーシェフ「労働者セヰリオフ」もそのようにして読む。「爆裂弾」などの言葉が踊るテロリスト・革命家たちの物語。いつの時代も変わらないなぁ、などとは言わない。
 1905年、日露戦争を契機に「戦争を革命へ」! 1917年、世界大戦を契機にロシア革命。それから100年。革命は何処へ?
 

アルツィバーシェフ・追記

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 5月28日(日)06時49分50秒
返信・引用 編集済
   新潮文庫ではなく角川文庫版の『ロシヤ文学史』(1951.11)には、かなり詳しく出ていた。
 著者は米川正夫。
「個人主義思想の一表白として、この時期に於けるロシヤ文学の顕著な流れを形作つてゐるのは、性の問題である。……その中で最も注目に価する、鮮明な特色を持つた作家はアルツィバーシェフ(1878-1927年)である。最初『村』『血痕』など、一九〇五年の革命を題材とした幾多の短篇を公けにして、線の太い、色彩の鮮明な、男性的な力に富んだ筆致によつて名を知られたが、それらの作品の全体を貫いてゐるのは、暗い厭世思想であつた。叛徒の群と軍隊のあいひだに演じられた暴行・流血・虐殺・凌辱――すべて人生の盲目と残忍と無意義を語らないものはない。かういふ息づまるやうな暗黒の中に、彼は一道の光明を発見した。それはほかでもない、性愛である。彼がこの道へ出たのは、「自由にして強き性慾は、力ある心の賜物なり」といふニーチェの個人主義の影響によることは無論であるが、また一面に於ては、失敗の革命に疲憊した心の逃避でもあつた。とにかく、彼は有名な長篇小説『サーニン』(1907年)を始め『妻』その他多くの短篇に於て、性慾を神聖なるものとして祝福し、虚偽の皮相な文明の桎梏から救ひ出し、健全で自然な状態に置かねばならぬと高唱して、絶対の恋愛解放論を主張した。『サーニン』が当時の読書界に獲得した成功は異常なもので、発表後間もなくあらゆる外国語に翻訳され、知識階級の青年男女にとつて新しきバイブルとなつたかの観があつた。」
 これで、おおまかな流れは理解できる。なお、岩波文庫でも中村白葉訳『サーニン』が刊行されていた。「岩波文庫に限った」云々は、前言訂正する(政治家みたいに、安易に撤回・削除はしない)。もっと、高尚な理由からだろう。
 なお、1970年代の「慾望」(未だ実現せず?)は、性慾ではない。念のため。
 

アルツィバーシェフ

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 5月27日(土)08時21分5秒
返信・引用
   ロシア文学/思想が日本に与えた影響は大きい。
 ことに、1905年第一革命と1917年大革命のはざまで、シェストフ「悲劇の哲学」、アルツィバーシェフ「サーニン」は、よく読まれたようだ。
 そのアルツィバーシェフの名前が、岩波文庫別冊『ロシア文学案内』から消えていることを知る。金子幸彦著の旧版(1961.10)では、自然主義的文学の項目で、名前だけは出ていたのが、藤沼貴・小野理子・安岡治子共著の新版(2000.4)には、「サーニン」はもとより名前もないようだ(索引による)。
 旧版より、かなり厚くなったのに、「文学史」的に価値なしという判断なのか。もっとも、岩波文庫に限ったロシア文学案内なのだろうか。中島清訳『サーニン』は、新潮社から単行本・縮刷本・文庫本と刊行。そんな狭い料簡から消えたのではなかろうが、よくわからない。今度、ロシア文学の専門家に訊ねてみよう。
 

古典文庫

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 5月23日(火)06時59分13秒
返信・引用
   今月号の「日本古書通信」に、小田光男が「古典文庫とミシュレ『魔女』」(古本屋散策182)を書いている。
 この現代思潮社の古典文庫版『魔女』の愛読者のひとりに村上春樹がいたという。
 ほかに、小田はシュテルナー『唯一者とその所有』、ブランキ『革命論集』、ブルーノ『無限、宇宙と諸世界について』、ネルヴァル『幻視者』、スウィフト『書物合戦・ドレイピア書簡』、フーリエ『四運動の理論』(「四足動」と誤記)と、未刊のメストル『サン・ペテルスブルク夜話』(倉田清訳)の書名を挙げる。スウェートーニウス『ローマ皇帝伝』(ただし、上下2巻のうち上巻のみ)まで、全51巻(1967.5~74.7)を刊行した。
 この古典文庫を、現在集中的に収集中(アマゾンや日本の古本屋サイトにゴロゴロしている。残り9点)。数年前から古書蒐集においても、「下山」を始めて、年々購入数・額ともに減らしてきたが、おそらく新たに、まとまったシリーズを集めることはないだろう(全集・シリーズの欠本は、まだ多数。いずれも、古書に出ないものばかり)。ボクにとって最後の収集仕事となっている。
 なぜか? と自問自答してみた。1970年代初頭、この古典文庫をはじめ、現代思潮社本を、新刊書店の書棚で、いつも眺めていた。どれもが欲しくて、しかし、すべてを買えるだけの金はない。そのようにして、森崎和江も谷川雁も大杉栄もトロツキーにも出会ったのだった。
 40数年前の慾望を、ようやく実現していることになる。
 当時の現代思潮社の出版図書目録を見ると、末尾に常備店一覧が掲載されている。福岡では金文堂・りーぶる天神・金文堂朝日ビル店、小倉は金栄堂、黒崎は朝日屋黒崎店が並んでいる。いずれも、いつも立ち寄っていた新刊書店だ。特に、朝日屋の印象が強い。棚の並びが、ありありと思い浮かぶ(それだけ、眺めるだけの機会が多かったのだろう)。現存は金文堂の2店舗のみ(ただし、どちらも随分長く立ち寄る機会がない。お世話になった店長・店員はなつかしい。取り置き新刊が、毎月山をなしていたっけ)。
 さて、当時の「慾望」、ほかにもあった。そちらの実現は如何?
 

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