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藤田文江

 投稿者:やしろ  投稿日:2017年 8月18日(金)10時19分57秒
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  スカラベ 時々拝見しています。
井上の著書 お読みになった由、井上は源太の生家の縁者の一人です。

島尾の記事がありますが、ぼくも只今積ん読の梯「狂うひと」を読んでいます。遅読のためいまだ半ばのまま。

ところで一つお願いがあります。知人に藤田文江を集めることに執心している者がいます。
藤田関係の珍しい資料などご存知でしたら、ご教示願えないでしょうか。
 
 

島尾敏雄ブーム

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月14日(月)08時39分22秒
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   出版界は、何度目かの島尾ブームのようだ。
 文庫2点が「復刊」されている。集英社文庫『島の果て』(2017.7)は、収録作品は1978年版と同じだが、カラー口絵や年譜が加わった。新潮文庫『出発は遂に訪れず』(2017.7)は新装版というが、1973年版を(活字を大きく)改版しただけか(まだ見ていない)。
 昨年には梯久美子編/島尾敏雄作品集『妻への祈り』(中公文庫、2016.11)も出されている。文庫3点に共通する作品は「出発は遂に訪れず」だ。
 新刊も2点。ミホとの往復書簡集『愛の往復書簡』(中央公論新社、2017.3)と、『琉球文学論』(幻戯書房、2017.5)。前者、題名からして、あまりにも気恥ずかしく、まだ手にしていない。文学者の書簡や日記を重視する立場でもない。
 そして、映画「海辺の生と死」の公開。福岡市在住のMさんはブログで「福岡でも上映して!」と訴えていたが、来月初めから福岡イオンモール・シネマで上映され、絵葉書付き前売り券も発売中のようだ。「福岡」というから市内かと思ったら、粕屋郡粕屋町の方だった。県内の上映は、ここ1箇所という。「福津」の方だったら、もっとよかったのに。
 たぶん、文庫の刊行は、夏の「終戦」よりも、映画公開に連動したもののようだ。
 

火野葦平3点

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月13日(日)21時45分7秒
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   最近の葦平に触れた著作など3点。
 中川成美『戦争をよむ―70冊の小説案内』(岩波新書、2017.7 定価760円) 2番目に『麦と兵隊』を紹介。ただ、小林秀雄が芥川賞の時計を届けた杭州が徐州になっていた(芥川賞の「賞牌」という表現も、ちょっと誤解を招く)。
 金成妍『鈴語庵の土鈴―阿南哲朗コレクション』(久留島武彦評伝刊行会、2017.7 定価1000円) 北九州では知られた児童文学者・詩人の阿南哲朗(1903~79)が遺した土鈴の数は1150点。そのなかには、葦平や久留島武彦から贈られたもの、田上耕作の創ったものも含まれる。鈴語庵は久留島の命名。葦平は「夕刊フクニチ」連載随筆「鈍魚の舌」の「マニア」で、その経緯を紹介した。その一文を阿南は大事にし、書斎に看板代わりに掲げた。以上を最初に触れる。主な土鈴はカラー図版で大きく掲載。現物も、著者が館長を務める大分県玖珠町の久留島武彦記念館に、全点が展示されている。天井から吊り下げられた阿南コーナーは圧巻。なお、阿南も大分県竹田市の出身だから、没後に土鈴とともに帰郷(同じ豊後)を果たしたともいえる。葦平に限らず、見ていて楽しい1冊だ。
 網本健二郎「「戦争作家」誤解に苦悩―父の終戦3」「読売新聞」西部本社版(2017.8.10) 葦平3男の玉井史太郎さんを取り上げた「終戦」関連シリーズ記事のうち。
 

山の詩

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月12日(土)00時25分37秒
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   8月11日は「国民」の祝日「山の日」だった。昨年かららしいが、「非国民」は毎日が祝日=労働日。
 これで、「海の日」「山の日」があるのだから、「川の日」や「空の日」があってもいい。国土交通省が制定した河川愛護月間は7月、同じく航空記念日(9月20日)は、すでに「空の日」と改称しているようだ。
 それにしても、今年も愛護月間に悲惨な豪雨災害が起きるなど皮肉。おそらく国民・国家の国土「愛」が足らないのだろうと、不謹慎に思う。
 さて、たまには「国民」に準じて「山の日」にちなみ、山へ行く代わりに本でも1冊繙こうと思うが、倉庫のなかの山岳書コーナーに達するのが難儀なので、止めた。
 井上嘉明『鳥取の詩人たち その他』に「山をみる眼の位置」(初出「日本未来派」189号、1994.6)というエッセイが収録されていた。堀口大学「山」(『人間の歌』)、高村光太郎「山」(『道程』)、草野心平『富士』、小野十三郎『重油富士』、鳥見迅彦『けものみち』、高見順「みんな山へ」(『わが埋葬』)が紹介されていた。
 

詩人の書評

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月11日(金)16時11分6秒
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   樋口伸子『本の瓶詰』(福岡・書肆侃侃房、2017.3)を、ようやく読む。
 刊行直後に、いくつかのコラム・エッセイには目を通していたのだが、全部を読み通す余裕なく来ていた。ここ45年余にわたる新聞各紙発表の書物エッセイと書評をまとめたものという。45年ならば、2016年から1971年まで遡行するが、掲載日付で古いのは1984年だ。余り細かい詮索はすまい。
 全体は3部構成。エッセイ「本と人と」、国内編と海外編に分かれた書評、それらの間に匿名コラム群が組み込まれる。匿名コラムは、発表時に執筆者を知りたかったのもあるので、種明かしをしていただき助かる。筆名は「乙」とか「紙袋」だった。
 新聞書評・コラムの性格上、字数も限られ、2ページ・1ページの短文が基本だが、エッセイには長文も数篇。「もう一つの闘争 堤玲子の世界」は5回連載のもの。
 さて、書評77本のうち、ボクが読んでいたのは5作のみ。コラム・エッセイで触れたものを加えるならば、100本を超えそうだが、それでも10指に満たない。ただ、読んでみたいと思う幾冊かを知る。堤玲子も数冊が書庫に眠っているはず。今度、取り出してこよう。
 続けて、井上嘉明『鳥取の詩人たち その他』(鳥取・流氷群同人会、2012.7)を読む。
 伊良子清白・尾崎翠・尾崎放哉ほか鳥取出身の文学者に、国内と海外の詩人に関するエッセイ・書評をまとめる。確か、鳥取の詩人Tさんの紹介で知った本だった。5年も寝かしていたことになる。
 

上海の葦平

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月 9日(水)10時37分56秒
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   上海事変下の上海へ石炭荷役のためにわたった、若松の沖仲仕一行の映像が残されていることは、何で知ったのか?
 池田浩士『火野葦平論』(インパクト出版会)や今村修『ペンと兵隊』(石風社)の「魔の河」に触れた箇所に、その指摘がないものか探したが見出せずにいる。
 印象に残っているのは「白い犬と戯れる玉井勝則(葦平)」の話だった。その場面を前々から見たいと思っていた。
 葦平関連の古いVHSテープを、虱つぶしに見ていこうと計画した(東映映画「日本俠客伝」シリーズのDVD数本も終えていないのに)。数十本のうち、目星をつけて数本目で出てきた。
 NHK北九州の「河童の天地・葦平と若松」(1986.10.2 30分)という番組のなかだった。丹羽文雄・宮城まり子・平良リエ子など、葦平と縁が深く、かつ河童小説集『河童曼陀羅』(四季社、1957.5)に挿絵を寄せた人物約十名にインタビューした貴重な記録だった。そのなかでほんの数秒間、上海の映像も使われている。
 ほかに、NHKの「日本風土記・北九州」(1960.12.2)や「新日本紀行」の「ごんぞうの系譜」(1970.11.16)「炭坑節」(1978.10.4)なども興味深く視聴する。
 

爆弾三勇士の歌

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 8月 2日(水)09時23分56秒
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   銅像だけでなく、歌唱・映画・演劇などでも一大ブームが起きた。
 ユーチューブで、いくつかの歌唱を聴くことができる。
 なかでも、いちばん有名なのは与謝野鉄幹の作詞した歌。
 十番までのうち第六番の歌詞は以下のとおり。
大地を蹴りて走り行く/顔に決死の微笑あり/他の戦友に遺せるも/軽く「さらば」と唯一語
 この「他の戦友に」の箇所が、ある合唱団の歌では、何度聴いても「反戦勇気」に聞こえてしまう。
 

爆弾三勇士

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 7月31日(月)16時52分28秒
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   必要あって、爆弾(肉弾)三勇士を、あらためて調べている。
 まず、当時の銅像・記念碑の建立状況。

1932.2.22 上海事変・廟巷鎮(「廟行鎮」とも表記)における久留米工兵隊3名(江下・北川・作江)の戦死
1933.5.● 久留米市公会堂前に「爆弾三勇士」銅像建立(久留米市国防義会。現存せず・復元ジオラマが久留米の自衛隊広報館内にあり)
1934.2.22 東京・芝区の万年山青松寺に「肉弾三勇士」銅像建立(現存せず)
1935.12.27 靖国神社大石灯籠(「爆弾三勇士」レリーフ・14面の1)除幕(富国徴兵保険 献納。現存)

 ほかも多いようだ。北九州・若松市(高塔山頂)や上海の現地(「爆弾三勇士忠魂碑」)にも石碑が建立された。これらのうち、現存するのはどれほどか。なお、久留米・山川招魂社境内には、地元郷友会によって石碑「爆弾三勇士之碑」が、新たに建立されている(1981.2.22)。
 

『「現代思潮社」という閃光』

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 7月26日(水)19時22分17秒
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   暑い、いや、熱い!
 ここ数夜は、さすがにクーラーの部屋で寝る(そうしないと、熱中症にかかる虞があった)。昼間も、空調のない作業部屋では過ごせず、クーラーに加え、扇風機も廻しながら、高校野球福岡県大会などを、柄にもなく見る(一応、出身高が勝ち残っている。準々決勝で敗退かと「期待」していたら、逆転勝ち)。
 さて、熱い季節といえば、1960~70年代。出版社も熱かった。その代表格が現代思潮社か。
 そこに勤務していた陶山幾朗が、『「現代思潮社」という閃光』(現代思潮新社、2014.5)という回想エッセイを出していた。先週、数か月ぶり(正確に云えば、2月以来)に福岡市天神のJ堂で、幾冊か新刊書を探した。そのとき、たまたまこの本が目に入る。読んでいないはず、刊行も知らなかったはず(書評や紹介文を見落としたのだろうか)。
 谷川雁につき1章を設けていたので、購入(このあと、敬愛する作家Mさんから、「まだ本を買っているの!」と呆れられる)。
 読み進めると、森崎和江(p.24)も上野英信(p.69)も石牟礼道子(p.87)も登場してくる。いや、親しくしている中間在住のKさんが2度(p.20,24)も出るので驚く。陶山も早稲田大学時代に「SECT NO6」のメンバーだったのだ。
 まあ、森崎和江は現代思潮社から本を出しているので納得だが、上野英信と石牟礼道子は意外だった。
 巻末には、資料として現代思潮社が出した雑誌「現代思想」(1961.5~12 全7冊)「白夜評論」(1962.6~12 全7冊)「初原」(1970.12~71.5 全2冊)3点の総目次も掲載(刊行書目録は、すでに石井恭二『花には香り 本には毒を』に収録済み)。なぜか、この3点とも書庫に揃っている。いずれも、古書で入手した。
 以上、本日はパソコンのある作業部屋で過ごすことができた。
 

福田秀實

 投稿者:スカラベ・ヒロシ  投稿日:2017年 7月24日(月)22時07分26秒
返信・引用
   「スカラベ人名事典」のメンテナンスをしないといけないのだが、まだその余裕がない。
 福田廣宣編『福田秀實遺稿集』(福岡県田主丸町・漫画こけし、1982.1)を読む。火野葦平との縁からだが、彼が新短歌運動を推進していたことを、思い出す。あちこちで、名前だけは目にしていたのだ(残念ながら、遺稿集に、印象に残る歌は少ない)。

 巻末の「略歴」を転載する(西暦を付加・年号および数字表記などを調整)。
1908(明治41).1.3 福岡県浮羽郡田主丸町田主丸105番地ノ1に硯寿長男として誕生
1922(大正11).11 朝倉中学3年より詩、文語歌を作り始める
1924(大正13).5 朝倉中学5年、緒方隆士らと文芸同人誌「直線」を創刊、25年1月まで8号を編集発行
1925(大正14).4 福岡師範二部入学 松尾黙人を知り、長井盛之とともに定型口語歌を作り始める
1926(昭和1).4 〔田主丸町〕川会小学校訓導
1928(昭和3).5 定型口語歌より自由律新短歌に移行す 6月 長井盛之、松尾黙人、安部源太郎らと新短歌誌「静脈」を創刊し編輯に当る。「静脈」は、29年12月まで19輯を発行、その後は、36年まで「火山脈」「るるるる」「仙人掌」「純粋短歌」と続き、終戦後は「日本短詩」となり現在に至る
1929(昭和4).4 三潴郡木佐木小学校勤務
1930(昭和5).4 福岡市奈良屋小学校勤務
1932(昭和7).10 原田種夫、山田牙城らと福岡詩人協会を設立し、「福岡詩人」を創刊、編輯に当る。また音楽文化の普及向上に努める。
1934(昭和9).4 〔田主丸町〕水縄小学校勤務、教育諸雑誌に綴り方、児童詩等に関する研究論文を発表す
1939(昭和14).2 願寿寺住職となる 5月 訓導退職
1942(昭和17).4 大政翼賛会浮羽郡支部主事、浮羽郡翼賛壮年団本部長、大日本青少年団浮羽郡支部主事となる
1943(昭和18).6 東本願寺、礦山勤労奉国隊長として北海道三菱大夕張礦業所に赴く
1946(昭和21).10 田主丸町民生委員
1949(昭和24).12 田主丸町公民館主事
1954(昭和29).12 田主丸町教育委員会次長兼社会教育課長、観光協会理事
1955(昭和30).7 九千坊本山田主丸河童会を組織す
1956(昭和31).8 福岡県社会福祉協議会理事 「漫画こけし」の製造販売を開始す、この頃から火野葦平氏との交遊繁し
1961(昭和36).6 故火野葦平の田主丸小説集『月光菩薩』の出版記念会を主催す
1962(昭和37) 田主丸町諸役職を退く
1964(昭和39) 読売新聞社の九州進出に協力、73年まで浮羽郡西部販売店経営
1972(昭和47).3 歌集『孤絶』を上梓す、田主丸豊城471に自宅建築、引越す
1974(昭和49).2 原田種夫編『緒方隆士小説集』刊行会代表となり之を上梓す
1981(昭和56).1.22 永眠〔享年73〕

 典型的な「地方文化人」の軌跡と切り捨てられずにいるのは、次のような「新短歌」作品を見るからだ。

汽笛が/咬まれた犬のやうに/悲鳴をあげ/小炭坑の午後はけだるい
隣の炭坑(やま)はストライキだ!/ 執行猶予の俺だけに/黙々と 今日も/トロッコをおそう
トロッコを押して/出た坑外(そと)/埃だらけの馬がうなだれてまつてる/ぎらぎら陽の光!

 以上3首は「幻想曲」(1928.5~31.8)から。当時のプロレタリア短歌との関係はどうだったのか。その後の「転向」ゆえに、年譜から「抹消」されているのだろうか。新短歌雑誌のうち「静脈」「火山脈」「純粋短歌」「日本短詩」は、一部を見たことがある(詳しい調査はしていない)。「るるるる」「仙人掌」は未見。あと緒方との「直線」全8冊も未見だが、福田旧蔵書はどうなったのだろうか(『遺稿集』刊行時には、揃っていたようだ)。また、安部源太郎は阿部源太郎(歌集『そろばんの珠』の作者)と同一人物のはず。
 編者曰く「本集が何時か誰かが書くであろう『九州新短歌史』にいささかでも参考になれば」……、詩人たちとの協働活動も興味深いが、自由律(口語新)短歌が、自由律俳句のような一行詩として完成度を見ないのが残念。
 

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